いつからそうなってるのか知らないが、自転車を趣味として始めて間もない頃に服部さんから、「右足裏の血管すごいですねぇ」と言われて始めて、世の中にそのような病気があることを認識した下肢静脈瘤。モグラがはった後のように血管がぶりぶりと盛り上がって見た目も気になるし、一般的には妊娠する女性に多い(実際そう思ってみると、おばちゃんの足にはよく見かける)そうなのだが、痛みやらしびれ、むくみなどの症状が出なければ特に問題ないとのことで、別に自転車乗ってても何の問題もないし、二郎さんもそうだし、何たってジョージ・ヒンカピーのそれは一瞬目を背けたくなるくらいに盛り上がっていたりして特に気にしてこなかったのだが。この二年間くらい、冬場になると静脈瘤のある右足ばかりが冷えてしびれることに気がついた。朝どんなに寒くても走り出せば15分もすれば体も温まって足先の冷たさもそれほど気にならなくなるものだが、右足が一向に暖まらない感じで、つま先もしもやけっぽい感じになる。この半年で顕著になってきたのが、特に自転車に乗らなくても、会社について社内用のサンダルに履き替えて仕事をした後の元の靴に履き替えたときの右足のむくみ。おまけに少ししびれる感じもある、寒くもないのに。よくよく見てみれば、血管の盛り上がり方も以前より範囲が広がってるような気もするし。このまま引きこもってる間に(シーズンオフな間に)しかるべき処置をしてもらおうかと悩む今日この頃。
暮れから結局お尻の事情で(けっこう長期間、ズキズキした)自転車に股がることはおろか、日常的にも動き回ることが躊躇されるような状況で体は鈍りまくっていて、寒さも後押ししてとにかく引きこもり、生活のリズムも崩れまくりな年末年始であった。曜日の並び上長かった休みもようやく終わり、強引に仕事も始まれば少しはペースも戻せるかと思いつつ、暮れから持ち越した仕事はのっけから相手をするのが大変で、会社を出るのは22時過ぎ。ようやく木曜日にケリがついたかと思ったら、なんとなく喉が痛い。明けて金曜日は違和感はさらに強まり、午後から2件のうちあわせをどうにかしのいだものの、夕方の飲み会のために会社に戻る頃には猛烈な悪寒。経験的に9年前の悪夢がよみがえり、飲み会はドタキャンして朦朧としながらようやく帰宅。寒気と頭痛と関節痛にうなされながら一晩過ごし、翌日近くに医者に行けば、想定通りインフルエンザA型判定。予防接種はしていてもなるときはなるとは聞いてはいたが。ただおかげなのか、熱は37℃半ばどまりで処方されたタミフルの効き目も早く、その日の午後には熱も下がり、後はハッピーマンデーな三連休で回復を待つのみ。会社も休まずに済んだし、太田さんから受けていたチケットのデザインも月曜には作業できて、ことなきを得て、我ながらあきれるというかなんというか。。。金曜夜から家庭内隔離を徹底したおかげで家人に伝染すこともなかったようで。
そんなこんなで、体調は本調子にはほど遠く(というかさらに遠くなり)、仕事初め二週めもどんよりと電車通勤が続き、このままだらだらといつまで過ごすのか、かなり不安ながらも、しばらくこんなでもいいかと思ったりして。
お尻、なのである。Di-3なのであった。前回、掘り起こしてみると、2012年の1月12日だったらしいから、約3年ぶり。カルテ風に言えば、血栓性外痔核。寒い中踏んばりすぎた餅つきあたりから、怪しい気はしてましたよ、確かに。納会の日の飲み過ぎが最後のスイッチだったか。いやもう、こちらとしても慣れたもんで、きっぱり医者に行って切っていただきましたよ、ね。しかしこの医者、とにかく待ち時間が半端ない。仕方ないけどね、年内に処置してもらってまだよかったと思うしかない。
polarがウンともスントも言わなくなっていて(polarだからスントもは合わないのか)、修理に出してみれば、おそらくは予想通り、ブラひもの電極がもうダメだったそうで、交換して返送してきた。換えてみれば、ばっちり私の心臓はやっぱりしっかり動いていて、清澄なんか気持ちよく心拍188を記録してくれたりして、いくらアンチ今中な解説を市川さんがしようとも、ま、それはそれ、心拍診れるのはありがたいのだった。山でも追い込み加減を見てみたいしね。
会社的には上期の末、ということもありつつ、それだけじゃない忙しさは8月から続いており、そこに憩室炎の突発的休みも加わって、とにかく9月は忙しかった。朝はだいたい8時15分くらいには会社に到着して(始業は9時)、だらだらと溜まるメールをまず整理して始まる一日は終了するのがほぼ21時。12時間近い労働を終えて、家に帰れば23時前後。こんな毎日に朝夕自転車乗ってれば48歳の体にはそれなりの疲労もたまるわけで、そこに持ってきて土曜日練習のスタートがこの時期6時半ってのは、これはもう言わずもがな。大変ですがな。
二度寝を要求する脳みそにむち打って寝床をはい出し、トースト二枚を胃袋に押し込んで慌ててスタート。ブチルチューブのチューブラーを当てにしたのがよくなくて、おそらくは空気圧がよろしくなくて、どうやらどこかでスローパンク。微妙に重い感触と、粘り着くステアリング。集まってスタートはしたものの入間大橋の信号で何となくタイヤを触ってみれば案の定、ぶにぶに。サイクリングロードをお降りたあたりで宇津さんに、離脱を告げて、タイヤを診る。即ぺちゃんこってわけでもなさそうだったので、猫の●んこくらいしか覗いていないリヤのバルブにミニモウフをかませて小島よしおポーズで空気を押し込んでいると、そこにロードのおじさんが帰ってきて、大丈夫かと声をかけてきた。なんと止めていた農家の世帯主。ありがたいことに空気入れがあるからこっちに来い、という。お言葉に甘えて奥に行ってみれば、トラクターなど並んだ納屋にコンプレッサー始動なのである。が、しかし。本人はこれで自分の始めたばかりのロードには空気を入れている、というのだが、どう見ても口が合わない。何度か試してみたが結局空気はまともに入らず、恐縮するおじさんに、さらにこちらも恐縮して、礼だけ言って、元の場所でとりあえず走るだけは走れるほどの空気を入れて引き返す。バルブの締まりでもわるかったんだろうくらいにしか考えていなかったが、その後も時間ごとに空気は減圧し、止まっては足し、止まっては足し。松下なんぞに言わせれば、チューブラーはよほどのことがない限りパンクなんかしねぇ、そうなのだが。
ま、睡眠不足なところ、早く帰って息子たちの相手でもしろってことで。
すっかり秋になり、6時半集合(=スタート)では、ウチを出るのが5時半過ぎ。暗くはないが、率直に言って寒い。アームウォーマにニーウォーマ、少し寒いかなくらいでGO。日が昇ればあったかくなるしね。さて、スタートしてしばらく。信号の都合やら何やらで気がつけば浅田さんと五十嵐さんと私の三人が先行するカタチに。やや向かい風のなか、浅田さんの引きが強い。清澄で垂れるまで辛抱してへばりついて明覚休憩。ここで明日がレースで早帰りの五十嵐さんと2人でリターン。三段坂の最後、山村坂ではしっかり差をつけられて沈。荒川ついてからはオキナワの話などしながら帰着。連れがいるのはありがたい。
日曜日は家人が午後からでかけるというので、ひさしぶりに練習フル参加。鬼の二郎さんがレースで不在なので「洗濯」かと思いきや、またまた石川さんの強烈な引きにつられて、サイクリング風味はどこへやら、昨日よりも強い向かい風を突いて、昨日よりもハイペースで明覚到着。デイリーヤマザキで梅干しをもらって休憩後、狩場坂。ここ、長くて先が読めなくてつらい上りです。先行するメンバーを見送って、マイペースで進む。しばらくして落ちてきた兼田さんを捕らえ、浅倉さんを捕らえ、先行する岡部さんまで追いついたが、どうやらこの辺で力尽きる。やっぱり乗り込んでないのでスタミナが続かないです。爽快な空気を引き裂いて気持ちよく下って、これまた久しぶりのシロクマ。して、復路も、びしばしとインターバルが入って、もうお腹いっぱいの140km。こうでなくっちゃ いけませんね。
9月に入っても、出発が6時半ってのが、このチームのいいところ。集合場所までは約50分なので、5時半過ぎに家を出ると、これがまた寒い。半袖半パンにアームウォーマにニーウォーマ、薄手のウインドブレーカでちょうどいいくらい。指切りのグローブがちょっと冷たい。集まった8人ほどで快調に走る。きれいに草を刈られたサイクリングロードの土手には、いつの間にか曼珠沙華が真っ赤に咲き誇り、すっかり秋のいい雰囲気。清澄はちょっと先行してみたりして、憩室炎の影響もなく走れてることに安心して、明覚休憩後の横松郷も踏んばってみる。ここで早帰りの松井さんと二人、南周り。微妙な向かい風の中、それでも35km/hをキープして牽き7割で帰る。まずまずいい感じで130km走破。
昼飯後、航の宿題の絵日記のネタづくりがあるので、櫂も一緒につれてサンシャイン水族館まで。企画展の「もうどく展」は45分待ちから瞬く間に60分待ちになったりしていて大盛況のようでしたが、目もくれずに通常の水族館コースを息子2人と回る。午前中の走りもあってちと疲れましたが、子供たちはまずまずたのしそうで、帰宅後さっそく、色とりどりの魚の絵を描いていました。
秩父金夜旅、と毎日西武線内で吉高由里子が言っているので、すっかりレッドアローファンになってしまう沿線住人なのであったが、まあ、そりゃ一週間も休むと、何が溜まるって、メール。あーこのメールってヤツがもう、現代社会を便利にしてるか面倒くさくしてるのか。一日不在なだけでもうんざりするほど溜まるのに、一週間。あー予想通り、たまった数は850通。一日かけて追いかけて、まるで録画中の番組の追いかけ再生状態。どうにか追いつきましたよ。あー、三連休でよかった。あと二日休めるもんね。
2回目の憩室炎は、点滴を毎日重ねたぶん回復し、水曜の診断では数値もよくなり、痛みもほとんどなくなり、木曜の点滴後の診断次第では、医者は許可しないであろうが、金曜日には出社して、溜まった仕事の整理でもしようと画策していたのだが。
「では、明日検査して終わりにしましょう。」。まじめを絵に描いたような医者は、休みは当然取ってますよね、と言い放つと、検査についての手配を看護師に指示し始めたのであった。昨年、前立腺炎後の内視鏡検査の悪夢再びなのであった。今日の点滴終わったら、適当にうまいものでも食ってやろうと思っていたのに、味気のない検査食。。消化器系専門の医者なのはわかるが(それだけに診察もちゃんとしているとは思うが)、毎度毎度そこまで念を入れなくてもいいだろう、どうすれば医者の言うことを否定できるのか、と頭の中をぐるぐる駆け巡るが答えの出ないまま、粥とスープの処方箋を渡され、明日は昼から、またまたあの下剤をがぶ飲みするのかと思うと、憂鬱である。
猛暑の中、夏休みもそこそこに働いていたツケなのか、このところの早朝出勤のための睡眠不足がたたったのか、土曜日に練習で100kmほど走っての午後から妙に腹具合がパラグアイ。ちょっと暑かったから冷たいもの飲み過ぎたかなくらいに気に留めずに、晩にはビールとチューハイを1缶ずつ飲んで気持ちよく寝たのだが。夜になって、のたうち回るような下腹の痛みに何度も目が覚め、脂汗だらだら。日曜起きてトーストは食べたものの、痛みはさらに増してきて、これは4年前にやった憩室炎に違いないと、日曜やってたはずと記憶していた当時かかった近所の医者を調べてみたらあいにく隔週で今日は休みの日曜日。去年前立腺炎で世話になった、隣駅の医者を調べたら、何と毎週日曜日やってる医者で(休みは火曜日)、腹を押さえながら、よたよた小雨の中駅まで歩いて診察に向かう。
診断は想定通り、大腸憩室炎で、CTなど撮って、腹膜炎を起こしかけとのこと。一週間安静(もちろん仕事はNG)。抗生物質飲んで、毎日点滴。
帰宅して安静ついでに、以前買った「猫ひろしのマラソンメソッド」など読み返してみると、かの君原健二の話などが出ていて、なんでもレース前日(あくまでゲストランナーではあるが)に、焼酎をぐいぐいと煽って、けろりと翌日フルマラソンを走ってしまうという。身近な人たちでもそうだが、トップレベルの人たちは、とにかく内蔵が強い。つくづく私のこのストレスに弱い内蔵が恨めしい。
しばらくは絶食(ゼリーくらいはいいらしいが)だそうで、空腹とも戦うはめになり、何ともつらい秋の始まり。。
一月はどうにか1000km越え。週末にそれほど走ってない気がするが、平日の往復で60kmは距離を稼ぐにはかなりのものであることがよくわかる。練習になってるんだかどうかは別にして。
さて、二月もがんばんべと、早出。土曜日は物見山往復の93km。
ところが明けて日曜日。
暖かくなるとの予報をあてに、いつもよりもさらに早起き。5時前に寝床を抜け出して、パンを焼いたり、着替えたりと準備をしていると、ガタンとなにか物音が。風でなにかが飛んできたか、落ちたか。特に気にも留めずに、外の気温を確かめがてら、timeを準備と思い、玄関の戸を明け、脇の倉庫の扉を明け、つるしてあるTIMEを引き出し、フロントのホイールをはめ、なんとなく階段下のガレージに目をやると、子供を乗せる座席つきのママチャリが倒れている。あーさっきの音はこれかと思ったが、この重い自転車が倒れるような風も吹いてないし、犬や猫がぶつかったくらいで倒れるようなものでもないし・・・・、と、その向こうに、ガレージの壁を背に、見知らぬ男の姿が!!!。一瞬言葉を失い、どうしたものかと考えたが、酔っ払いが寝込んでいたものかとも思い、脇のビニール傘を握りしめて「ゴルらー!」と威嚇したものの、相手はひるむ様子もなく突っ立ったままこちらを見ている。なんせ夜明け前でほの暗く、相手の顔もはっきり見えないのが気持ち悪い。これはまずいと考えなおして、家に戻ってカギを締め、110番。我が家から300m程の所に交番もあるし、そのまま玄関で外の気配をうかがいながら、警察の到着を待つが、全然来ない。10分ほどして電話が鳴るので出てみると「新座警察ですが、いろいろ立て込んでまして、今向かってます。」と間抜けな答え。ようやくパトカーが到着したのはほぼ30分後の6時前。当然現場には男の姿はなく、若い警官の質問にも、暗闇で相手の特長も良くわからず、何か取られてわけでも壊されたわけでもなさそうで、火をつけられた形跡もなく、やる気のなさそうな対応にイラつきながら、倒れていたママチャリを起こしてみると、なんとそこにスマホが落ちている。ついでにかなりキツいコロンの残り香。こりゃ若い男だなと推測もたやすいのだが、にも拘わらず、「それはご主人のケータイですか?」などと間抜けな質問をするお巡りにぶち切れそうになりながら、ま、証拠品と言うことで渡して、よろしく頼みます、っつーことでその場はおしまい。
そんなわけで練習に行けるような事態ではなく、陽が昇ってから、ご近所に顛末を報告してお互い気をつけましょうと話をしていたのだが、時間的にも場所的にも酔っ払いが入りこむような状況でもなく、となりのおっさんの推測では、自転車狙いじゃないの?ってのもなまじ外れていないのかも知れない。『高そうな』自転車に乗る僕の姿を見かけていて目星をつけ、忍び込んでみたものの、ガレージには目当てのものはなく、そうこうするうちに、家の灯りがついて焦り、立ちあがったところ、洞穴上の低いガレージの天井に頭をぶつけたか、車高稼ぎのためのタイヤ幅に掘られた溝に蹴つまづいて、よろけてママチャリを倒してしまい、しかも早起きの自転車乗りに見つかってしまった、と言うのはどうだろうか。
とにかく気持ち悪いので、ホームセンターで気休めのセンサーライトを買ってきて設置。ガラガラと両開きの門扉にも太いワイヤーロックを掛け、念のためTIMEは、完全屋内に。びびりましたな。
天気予報などというものに全幅の信頼をおいているわけでは決してないが、この時期「暖かくなります」と言われると、期待感もあり、信じてしまうのが人の常と言うものだろうと思うが、土曜はまったく大はずれ。日曜はこれがまた、予報どおりで、昼までは暖かかったものの、午後から天気急変で、北風が吹き荒れ、一気に気温も下がる。鼻水っぽかった航がだんだんだるそうになってきて、とうとう発熱38度。月曜は、月に一度の外来検査とMRI検査が控えていて、その付き添いは私が行くことになっていて、休暇も申請済みなので、うーん、予定が狂うのは困る。のだが、まったくもってそれは大人の都合なので。とにかくストーブの前であったかくして、悪化しないことを祈るが、幼稚園でもインフルエンザが流行っているとの事なので半ばあきらめていたが、翌月曜日、起きてみれば36度3分まで熱は下がり、本人もいたって平気そう。大病したとはいえ、よくまあ、元気になったものだと思いつつ、寒さの中、二人で自転車を走らせて保谷まで。週始まりの7時台の通勤快速は、当然ながら激込みで、身長111cmの航はすっかり人混みに押しつぶされそうになりながら池袋まで耐える。
その後は下り方面、混まないので順調に蓮田まで。1時間に一本のバスの到着まで中途半端に空いた時間を潰して、9時半には病院到着。採血、MRI、診察、と 滞りなくことは進んでこれまたバスの来ない11時台だったので、20分少しかかる駅まで歩く。朝よりは日が出てマシとはいえ、気温はキーンと冷たいが、文句も言わず歩く航を見てると頼もしくなってくる。
腹も減ってきたので、駅に向かって最後に曲がる道の角の味噌ラーメン屋で少し早めの昼にする。去年、退院してから4ヶ月目くらいの外来時に、航が一人前平らげてあっけに取られたところ、今日は僕と合わせて二人前を注文したのだが。
航の箸が進まず、そのうち、その場で吐いてしまった。どうやら昨日来の鼻水と痰が喉に絡んでうまく飲み込めてなかったようだ。あわててトイレに連れて行き、吐いた物を拭き、残りのラーメンを自分の胃に押し込み、お店には平謝りで退散。他の客がいなくて良かった。航はと言えば、吐ききって楽になったようでその後は元気に帰宅。焦るねー。
金曜日は動かなかったし、「土曜日は3月並みに暖かくなって行楽日和」と、天気予報が言うからには、しっかり走らないと、と思ったら、妻から長男の歯医者の付き添いを頼まれて、11時帰り必至。暮れに治療した虫歯の埋めたのが取れてしまったのと、なんと乳歯がぬける前から生え始めてしまった永久歯の具合を見てこないといけない。うーん、でも100kmほどは走りたいので、6時に家を出る。この時期、夜明け(日の出)は6時49分なので、当然真っ暗。ライトちかちかさせながら、脇を走る車もすっ飛ばし気味で走りづらいし、とにかく寒い。くわえて予報をあてにしていつもより、やや薄着なのが裏目に出て、寒い寒い。いつもの集合場所を過ぎて、ミラーマンの唄をくちづさみながらそろそろ陽も上がってくるだろうと思いきや、陽は上がったものの、うっすらと広がった雲にさえぎられ、一向に温まらない。時間も早いし、他に走ってる人もほとんどいない中、水たまりの凍ったゴルフ場を越え、じっと堪えて物見山まで。時間的に少しだけ余裕があったので、岩殿から下って物見山周回コースへ曲がってみると、いきなり工事中でした。荒サイも、川島も、ここも。道路がきれいになるのは嬉しいんですが、ね。結局、復路も期待した日光の恩恵はなく、キャシャーンだったら、とっくにエネルギー切れだとか、ぶつくさ寒い寒いと言いながらどうにか100km走って帰りましたとさ。
帰って、航を連れて歯医者。この歯医者、みょーな歯医者で、有名人と一緒に撮った写真が待合室にたくさん飾ってある。サッカーの中田、王貞治、そして、とにかくディズニーランドでの結婚式写真をはじめとするディズニー写真。医者のシャツのカフスも、ミッキーのシルエット。処置は早くていいんですが。治療後は、近頃、乗り鉄と化した航に付き合って、なんとなく飯能まで(行って帰るだけ)。
暖かくナルナル詐欺に懲りずに、日曜も暖かくなる(夕方からは急降下)という予報を今度こそ信じて、日曜はさらに着るもの一枚減らして出発。さすがに土曜よりはマシで、走り始めて20分もすればそこそこに体も温まってきて、一安心。途中、腹が減って、トイレも行きたくなったので、トモローで休憩。自転車スタンドが出来ていて◎。再出発後、今日は久しぶりに清澄へ。と行ってみると、これがまた葛袋過ぎてから、道路工事中。なんか、ごっつい道がそのうち出来るようですが。そのままノンストップで、三段坂。じんわりと汗も出てきて、あー走ってる感♪。やっぱこうじゃないとね。
大寒だっつーことで、いよいよ寒いが、ほどほどにはめげずに出勤。木曜の帰りは、久しぶりにウインドブレーカーを脱いで走れるくらいに暖かくなって、まあ、辛抱してればそのうち寒い季節も過ぎていくのだと、なんとなく実感できる今日この頃。金曜日は、仕事の移動の絡みもあって、気温が上がる予報ではあったが、おとなしく電車。朝は寒いが午後からは日中は気温が上がる、なんていわれると着るものに困るし、電車に乗ると暑いし。でも強烈に眠いのは、寒さに耐えて漕いでるせいか。金曜まで追いつめると、週末に差し支えるから、ってことにして。
土曜日は年に一度の、高校時代の部活(吹奏楽)メンバーの新年会。夕方出かけるなら、子供たちとその分、昼のうちに遊んでおいて、と頼まれて、自転車はナシ。ストライダーで走り回る息子たちの番をしたあと(立ってるだけで寒いー)、バタバタと渋谷へ。行けなかった去年と同じ店とのことだったが、こじんまりとした店で20人ほど。お肉のうまい店でした。そこそこに盛り上がり、二次会まで行ったメンバーもいたようだが、私は10時くらいで退散。ほどほどにしないと、最近お酒が残るので。
日曜はどうしようかと、一瞬アタマをかすめたが、どうしようも何も、酔いが残る体が、吹きすさぶ北風に対抗できるほどの根性もなく、寝坊。まあ、走ってないです。寒いので。
確か去年の14日は、起きると雨が降っていて、航の看護に向かう由紀を送り出して櫂と過ごしていると、雨は雪に変わったかと思うと、みるみる積もりだし、成人式の皆さん筆頭に、世の中、ちょっとしたパニックだった。あれ以来、天気予報は、雪に関しては、なますを吹くような予報をするようになり、夕べからの予想も見事にハズレ。朝から2件、打ち合わせだし、雪降るんだしと諦めて電車にした私からすれば、またまた騙されたようなもので、10時前に仕事を終えて駅にたどり着けば、品川まで先着する各駅停車にタッチの差で乗り遅れ、ぼーっとホームで待つのも寒くてかなわん。ベンチでは太った女が、半年前に駅脇にできた唐揚げ屋の唐揚げを、旨そうに頬張っていて、あまりのデブへの無防備さに、八つ当たり的に、ムカついてみたりする。
品川から乗った山手線は、運よく大崎で座れたのだが、同じタイミングで乗り込んできた同僚とおぼしき女2人とそのご機嫌とり的な男の三人組の、くだらない会社の話が、聞きたくもないのに耳に入って来て、あー、もう電車はヤだなと思いつつ、ケータイでこうしてブログの文章を作って暇潰し。
とはいえ、田町に昼間にいたので、恒川さんがFBに紹介していた、やっとこ なるラーメン屋に行ってみたら、これは、ばっちり 当たりで、この味噌ラーメンの今までにない、濃厚さ加減には満足したのは、良しとしようと、思い出しつつ、西武線はすんなり急行に乗ったと思ったら、なんだそういえば今朝は、ママチャリで保谷から乗ったことを思い出して、石神井公園で乗り換え。ま、結局降ってないから、保谷からママチャリで帰れるわけで。
毎日毎日、天気予報を見る見るたびに、「今年一番の」がついて回る今日この頃。走行記録を見返してみても、この時期、「超低温」とか「極寒」とか「北風」とか書いてあるし、天文学的(?)にも、年間通じて一番寒い時期なのだから、ガタガタ言っても仕方あるまい。問題は、この寒さに、どう対処しているか。寒さに屈して、ダラダラするか、気合一発、早起きできるか。ハッピーマンデー化した正月明けの三連休は、ひとつ、試されているような気がして振り返ってみると、これが意外に走っていなくて、風邪引いていたり、なんだか知らないけど、3日間ブランクだったり。では今年。仕事始めから(というか納めから)ばたばたしていたぶんの対応があって、しょっぱな土曜日は、休み。「どうせ起きないんだから」などと生意気な航の言葉に発奮して、日曜日は5時半に起床。集合場所付近の、荒川と鴨川をつなぐ細い川はなんと凍っていて、寒さを物語っていたが、単独踏ん張って物見山往復。こうやって走ってみれば、手鼻の切れもいいし、富士山もそのほか北関東の山々もきれいだし、気持ちがいいのは確か。翌日、成人の日もどうにか6時前に起きて寝床を這い出して出発。川は凍ってはいなかったが、北風がキツイ。チーム練に合流することも考えたが、少しでも早く帰らないとうるさいので、今日も単独、向かい風をついて極寒の中進んでは見たものの、あまりにつらくて入間大橋で折り返し。まもなくチーム練本体とすれ違い、Uターンして少しついていこうともアタマをかすめたが、そのまま帰る道を選ぶ。帰りは申し訳ないくらいラクチン(すなわち追い風)で、ま、練習になったんだかならないんだかわからないけど、この寒い中、二日続けて走ったと言う事実が大事かなと言い訳して。一月は、1000kmに満たない年ばかり。その中では、よくがんばった、ことにして。二万キロの2010年はさすがに1800km走ってるけど。14日現在、500km。
昭和61年だから、西暦に直せば1986年、と言うことは、買った2007年ですでに築21年だったことになる我が家。いまどきの新築のぺらぺらな造りが好きでなく、またこの物件に関して言えばその年数をまったく感じさせない程度の良さに、かなり満足していたのだが、住んで6年、日当りがイマイチなことが毎年、冬をつらいものにさせてきた。日当たりについては、その分、夏は快適だし、あまり日当りがいいと家が傷む(フローリングがカサカサになるとか)とも言うが、やっぱり冬の寒さは体にこたえるし何をするにも億劫で、精神的にも良くない。先に、兄が今のマンションに越すときに、「メルツェンサッシ」なる後付の内窓をつけていて、そういったものの存在は知ってはいたが、近頃「インプラス」や「プラマード」としてメジャーになってきていて、とうとう我が家でも、と言うことになった。暮れに、まず近くの工務店がデモやってたとかで「インプラス」の見積もりを取ったのだが、かなりお高い。で、通勤途中にいつも前を通る保谷のサッシ屋さんに直に再見積もり。こちらは「プラマード」。なんと、ほぼ2/3のお値段で出来ると言うので、こちらで決定。リビングの向きだけは南向きの掃きだし窓と、コーナー二面の出窓部分、それに風呂場の窓の3箇所に内窓をつけることに。年明け、8日にとうとう設置されました。
さて、効果のほどはと言えば。
リビングでは、置きだたみで座る生活なのだが、これがもう、窓側に座るとしたからシンシン冷えてきて、どうしようもなかったのが、すっぱり解決。この冬、灯油の節約にと買い換えたファンヒーターのエコモードも、何の意味もなかったのが、内窓ついたら室温がまともにキープされ、エコモードが正しく機能するようになった。3段階に選べる火力も、「低」にしていると、じわじわ室温が下がっていたのが、しっかりキープ。出窓のほうにびっしりついて、木枠の侵食もやばかった結露も、まったく解消。内側に微妙にせり出した多少の圧迫感を差し引いても、ここまでの効果があろうとは、嬉しい限り。
風呂場は。これがもう秘境の露天風呂でも、そこかしこから湯気が出てる分、あったかいだろう位に寒かった洗い場が、これまた、冷え冷え感が解消。多少大きい目の窓だとは言え、ここまで冷気があったのかと思うと驚く。
ぺらぺら感といっていた、近頃の新築って、窓のほとんどが二重窓だそうで。
家の南北を挟むこの二面の窓の断熱が上がったおかげで(東西方向は隣家が迫っているので)、家全体も少し暖かくなった気がする。1L、100円を超えてしまった灯油代も少しは節約できるかな。
ちょっと本気で自転車乗り始めてから、つけていた走行記録のEXCEL。2005年に始まって、ほぼ毎年15000km程度。2008年から2009年にかけては、ウツで体調崩してしばらくブランクがあったりしつつ、最高では沖縄が140kmになった2010年に2万キロ。2011年に櫂が生まれてからはレースからは遠ざかり、距離も少なめではあるが、4歳になって自転車に乗れるようになった航とチョコチョコ出かけたり。そんな風が続くかと思ったところに、2012年8月に、航の小児癌入院があって、そこからプッツリ、走行記録をつけるのが滞ってしまっていた。入院中も通勤は自転車だったし、病院へも何度かは自転車で行っていたので、7900kmまでで途絶えている2012年もおそらくは1万キロは入っているはず。明けて2月に退院し、土日の練習も再開できたが、2013年は、そのまま記録せずじまい。二回も自転車盗まれたり、夏場からまた体調崩したり、不本意な年ではあったが、ま、それでも7000くらいは走ってると思うのだが。
で、今年はやっぱりきちんと記録することにした。レースにはなかなか出られないと思うけど、こうして振り返るといろいろわかるしね。
お盆の週の前の週に早めの夏休みをとって、家族4人で勝沼に車で一泊の旅行。友達のアトリエを訪ねたり、ぶどう狩りに行ったり。猛暑の中ではあったが、それなりに楽しく過ごしたのだが。。あけて会社に行ってみれば、お盆の週のほうが休んでる人間は多く、当然彼らの引継ぎ業務やら、もともとの仕事やら、人がいない分、こちらに降りかかってきた仕事やらで首が回らず、平日は午前様、そのまま土曜日曜と仕事が続き、暑さも重なってもうへとへと。23日金曜あたりから、なんだか関節痛いし、夏風邪でも引いたかと早めに寝てみたものの、起きてみれば今度は、朝の放尿時に妙な痛みがあり、おまけに出が悪い。関節の痛み、だるさはさらに悪化している中、どうしても月曜に出さなければいけないものがあって、しかたなしに日曜は出勤して作業。ようやく月曜朝に、医者に行く。診断するなり、点滴してそのままCTとって、下った診断は「急性前立腺炎」。睡眠不足にストレスで体の免疫力が低下して、常在菌が日和見感染したのでは、とのこと。がんの疑いもないこともないなどとの脅しとも取れるような診断も加わって、そのまま火曜も休み。水曜は朝点滴受けて、仕事の引継ぎに午後から出社。木・金とそのまま休んで、土日まで連続4日の点滴。帰れば安静。少しずつ尿の出はよくなってきたものの、なかなか疼痛も引かないし、何しろ動けないというのはつらい。息子たちも、お父さんが家にいるのに相手をしてくれない、という状況が理解できるわけもなく、残り少なくなった夏休みをもてあまし気味で、雰囲気最悪なのであった。
2日の月曜日は、航は月イチの外来。私は朝点滴受けて、月はじめのもろもろの処理のために午後から出社。このような事態に陥った最大の要因であると思われる仕事は、その後も解決もせず泥沼化しており、引き継いだ皆さんに後ろ髪を引かれつつ、火曜日はまた休み。夏に休日出勤したぶんは、そのままこれらに代休として消化され、まったくもって無意味な日々を余儀なくされて、憤懣やるかたない。処方された抗生剤を、週末に飲みきり、土曜に診察に行くと、医者から大腸内視鏡と胃カメラの検査の宣告。そこまでしなきゃいけないものかと思いつつも、13日に日取りを決める。週明けから普通に仕事はするものの、毎日毎日通勤はおとなしく電車。検査三日前から、食事も制限が入り、好きなものが食えない、腹は減る、もともと腹がへる性質なのに、イライラは最高潮。12年前に禁煙したときに勝るとも劣らないかも。11日は、長男の病院からのはからいでのキッザニアだったのに、大人気なく不機嫌に過ごしてしまって、猛烈な自己嫌悪。周囲に聞いてみれば、大腸内視鏡も胃カメラも、経験者も多く(年齢的に当然か)、なかにはそのままポリープを取った、という人もいて、腹を決める。検査は13日の金曜日。やな日だねー。10時に病院に行って、2リットルの下剤を飲んで15時からの検査に備える段取り。待ち時間の暇つぶしに、病院に行く前に目の前のツタヤで、石田 ゆうすけの「行かずにしねるか」の文庫本を買う。2リットルの下剤を1時間で飲めということであったが、30分でほとんど飲みきり、ほどなく繰り返す便意のままにトイレに行き、また本を読み、トイレに行き、出すもの出しきって、予定通り15時過ぎに着替えて検査。胃カメラのための喉の麻酔のスライムのような気持ち悪さに耐えながら、腹部エコーまでは記憶にあるが、注射を打たれて程なく堕ちる。気がつくと胃も腸も終わっていて、ふらつく足元を支えられつつ、ベッドのほうへ。ぼーっとしたまま30分くらいまた眠ったのか。診察室に呼ばれて結果を聞くと、何のことはない、胃も腸もキレイなもんだったそうで、こうなると検査前に神経質になっていた自分がなおさら情けない。検査を宣告された日に受付のおねいさんから言われていた金額よりもぜんぜん安かった検査費用を支払って病院をでて、まずは空腹を満たすため餃子の王将で、牛塩ラーメンをすすったあと、西友で発泡酒を買って家に帰る。
結局、まるまる三週間以上、自転車に乗れず、気がつけば台風も過ぎてすっかり秋であった。バカバカしい。逃げるが勝ち、という言葉の意味がよくわかる。こんなくだらないことのために、人生を棒に振ってはいかんのだ。=
三連休を前に、幼稚園での用事がある由紀に頼まれて、金曜日も休暇。なんだか知らないが殺人的に暑いので、休めるに越したことはないが、二歳になっていろいろ主張も出てきた次男とすごすのもなかなか難しい。涼しい場所でと、児童館にでかけてみると、まだ開館時間ではないらしくドアも閉まっているとおもったら、前座席の櫂も寝てしまったようなので、そのままこっそり帰って寝かせて、自分の用でもするかと、引き返す。が、いざ寝かせようとしたところで、起きられてしまって作戦失敗。しかたなくまた児童館へ。足漕ぎの自動車を出してもらってしばらくはおとなしく遊んでいたが、途中から眠くなったか、不機嫌通り越して泣き出す始末。今度こそ仕方なく撤収。難しい年頃だな、まったく。
土曜日は、4時前に起きる。曇りがちで幾分涼しい。ぶいぶい走って松郷登って明覚へ降りてきて、三段坂から帰って120km。峠は涼しかったので、折り返しても良かったかなと、少し後悔。明けて日曜日は、由紀がチビ二人を連れてレッドアローに乗りにいく、というので、久しぶりにチーム練にフル参加。二郎さん、岡部さん、兼田さん、大木さん、浅倉さんと、そうそうたる皆さんとカイチョーに飛ばす。最初の休憩地点、明覚のヤマザキでは、おばちゃんが梅干をくれる。嬉しい心遣い。さて目指すは高篠峠。いままで三回くらい行ったかな。車のとおりの少ない、この時期なら涼しそうなところ。メインの登りに差し掛かるまでに、二郎さんに粘ってついていくが、当然足がなくなって、水場からの登りがどうも怪しい雰囲気。それでもあきらめずに踏んでると、じわじわと先行する皆さんに追いついて、大木さんをかわし、浅倉さんをかわし、兼田さんをかわし、とうとう、岡部さんも交わして、二郎さんの背中が遠くに捕らえれるところまで来た。ルートをほとんど覚えていないので、とにかくがむしゃらに登るしかないのだが、最後の最後になんと浅倉さんにかわされてしまったものの、いい感じで登りきる。降りてきた下界は、日もすっかり昇って灼熱。明覚で再び休憩の後、へろへろと走り出す。が、人数いるとスピードが上がって気持ちいい。戸守のローソンでガリガリ君休憩中だった石川さんが、自販機補給中に追いついてきて、残り、入間大橋からの直線区間をぶっ飛ばすので、喰らいついてみたが、45km/h巡行の猛スピードに、あえなく撃沈。久しぶりにつかいきった感じの140km。やっぱみんなと走るのは楽しいですね。
TNiが、オトコの自転車だ、などと強がってみても、やはり硬いものは硬い。乗りこなすのは結構しんどい。進むには進むのだが、登りでは重さは足を引っ張るし、そんなこんなの一週間で疲れも溜まったか、土曜日は目覚ましに起きられず。毎週毎週埼玉の道を行ったり来たりも、たいやきくんな気持ち。、たまには何処かにと思い、今田さんのdokyu練にでもと、ウチから30kmほどの成瀬駅までのルートをプリントアウトしていたので、ま、せっかくなので、集合場所の確認に、行くだけ行ってみようと遅まきながら家を出る。今日は昼に義理の妹が家に来るらしく遊び相手の従兄弟がいるので、昼前縛りもなし。
ひばりヶ丘からぐーっと南下して府中を越え、鎌倉街道、って結構アップダウンあるやんけ。出遅れた分、車も多いし、走りにくい。なれない道は神経磨り減りますな。だらだら走って2時間ほどで成瀬駅。本ちゃん前に試走しといてよかった。そのまま引き返すのもアレなので、途中、以前良く走った『連光寺』コースを走る。それにしても暑い。暑い。暑い。と思ったら、梅雨明けなんだそうで。
帰り道、矢野口過ぎてのコンビニではアクエリアス1L一気飲みしたら今度は胃が重もー。熱中症になるか胃をやられるか。夏の練習はつらいです。
よろよろ帰って買い物など寄り道して、近所の公園のベンチで横になり、少し休んでから帰宅。疲れた割には100kmも走ってない。
さて日曜日。梅雨明け早々の熱帯夜に、睡眠も浅い。それでも張り切って5時前に出発はしたものの、どうも調子がいまいち。というか、酸素が回りきらない感じ。入間大橋の先まで行ったところで、こりゃ事故る、と判断して引き返し。7時集合のチーム連の面々にご挨拶だけして帰宅。
帰っても休めるはずもなく、プールプールと騒ぐ息子二人の監視員役。もう暑さでぐったり。午後はひたすら寝る。完全に熱中症でした。あと、無防備に日焼けしたのもよくなかった。いったい何年やってんでしょうね。
2月に退院した航も、順調に体力が回復して、見た目にも、足の筋肉などしっかりしてきた。2歳半からまたがったストライダーのおかげなのか、つまらないゲーム機などを与えていないせいか、もともと外で走り回るのは好きなほうではあったのだが、ここに来て次男の櫂も2歳と1ヶ月にしてよたよたとストライダーを走らせるようになったのも手伝って、兄弟ふたり、暇があればストライダーに乗っている。我が家の目の前が、車どおりのない私道だということも非常にありがたいのだが。ただ、こうなると、そこは男の子。休みの日など、朝飯食べ終わればもう外に行きたくて仕方がない。さすがに家の前とはいえ5歳と2歳の子供だけで遊ばせるわけにも行かず、そうなると、私は休日の練習をなるべく早く済ませて帰ってこなければならない。。極力早く寝て、早く起きて早く家を出る。しかしながら、金曜の帰宅が遅いとそうも行かず。土曜日は、早出できずに7時発のチーム練に合流するも、桂木に向かう皆さんとは途中でお別れして、帰宅時間の調節のため一人練。日曜日は定峰くらいは行きたかったので、3時半起きの4時半発。蜂蜜トースト二枚食って走り出すも、一人で走るとスピードも乗らないし、使うエネルギーも多いのか、昨日の疲れも加わって、途中から力が入らない。清澄手前では、明らかにハンガーノック状態で、やばい。どうにかフラツキをこらえつつ亀ローに到着。しかし、雲行きが怪しい。川島では降ってなかったものの、亀ローではしっとり、細かい霧雨。気温も低い。この霧雨と言うやつ、サングラスに張り付いて視界をジャマするので、山行きはあきらめて物見山方面へ。
さて、昨日もそうだったが、最近の練習は。
一人だとどうしてもモチベーションが落ちる。かといって、長い道中、誰かの後ろについて走るようなモラルのないことはできないし。で、物見山周回。早出して、折り返してここに差し掛かる時間帯には、チラホラ周回している方もいる。ここなら、誰かと一緒になることに文句を言われることもなく競り合うことも出来る。もしくは、大東文化大の坂。降りてって、動物園で、むこうから威勢よく上がってくる面々を後ろから追いかけて頂上まで追い込む。これがなかなかにキツイ。で、時間も読めるしで一石二鳥。ツーリング的な楽しさは微塵もないのがつらいところではあるが。
土曜は物見山を三周。大東坂を3往復。日曜は、3周回のあと、大東坂から山村坂を登り返して、また下って大東坂を4往復。カネコさんやフィッテさん、alphaHorkさん、皆さんありがとうございました。おかげで足パンです。一人でだらだら登るよりはずっと効果的、だと思うのだが。
そこまで頑張って、11時に帰宅してみれば、それでも息子たちは我慢ならない様子。夏の間は2時起きか・・・
降るような降らないような良くわからない天気が続いている。朝起きると自宅周辺が雨で、天気予報もにわか雨が云々つってるもんで、しょぼしょぼ電車で出勤してみれば、あっさり夕方まで晴れてたり。予報士もいっぱいいて、みんな勝手なことを言うので誰を信じていいものか。。
そうはいっても、今週中に新車引き取りたいので、午前休みで、ホイールぶら下げてナルシマへGO。副都心線、北参道駅を出てみれば、あら雨。かささして歩いて開店前に昼飯食って、12時ジャストにこんにちは。シートピラーをつけてもらって、微妙に調整して、ボトルケージもつけて。小雨の中、田町まで。田町には最近、まともな駐輪場が出来ていて、二時間無料、その後12時間まで100円の良心的価格設定。ひとまずここに預けて、会社まで。雑務片付けて、もう一回田町にとんぼ返りで打ち合わせして。終わって自転車引っ張り出して小雨の中帰る。天気のせいもあって、まだ思い切り踏み込めないが、乗り心地は悪くない。というか、きっちり硬い印象。
15年前に買った最初のロード(をフラットバーにした)はリッチーのクロモリ。その後はじめて買ったまともなロードが先日盗まれたBianchiのヌーボー。しばらくしてレース用にEV2、ヘッドが割れてEV3と乗ったが、いずれも硬い。EV3もシートチューブが割れて、今も乗ってるVXRSで初めてカーボン。これはやっぱり乗り心地最高。
ヌーボーはかっちり硬い感じで、EV2は硬さの中にもしなりがある感じだった。EV3は、ただ単にパリパリと硬い(薄い)感じだった。
3月に盗まれた、スペシャのALLEZ。これはいまどきのエントリーモデルってヤツで、正直言って、私にとっての乗り心地は良くなかった。エントリーという名の下に、初心者に媚びている印象で、アルミのシャッキリ感がまったくなく、やわらかい、と言うよりは、鈍い印象だった。盗まれてもう一度ヌーボーを引っ張り出して乗ったときに、10年の古さを差し引いても、剛性の差を感じたものだった。
さて。週末に新車TNiをチェック。ハンドルの振りや握った感じにつまった印象があり、VXRSを並べて細かくポジションを比べて直していく。サドル自体が違ったりするので追求するポジションにも限界はあるのだが、どうにか近いところまで持ってくる。晴れた日の通勤。改めて踏み込んでみると、懐かしい剛性感。リッチーからヌーボーに乗り換えたときの、ぐぐぐぐーと言う感じを思い出す。こうしてみるとヌーボーも12年という歳月に、さすがにヘタっていたのだなと思う。トータルの重量は同じくらいか。登りもぐいぐいブレずに進んでいく印象。ま、これからもっともっと乗り込みますよ。
政治家やら、公務員やらが、くだらないツイートやらFacebookやらで非難を浴びているが、まあ、こんな人たちのリテラシーなんてものはレベルが低く、つまりはITなどというものが押し寄せてきてその上っ面な面白さに遅れて乗っかったところで浮かれてる「おじさん」でしかないということだ。某首相も、Facebookという「yesman」で囲まれた世界にご満悦なようだし、職場でも、どこかから見つけてきた「××論」的なサイトのURLを転送してきて、『読んでおくように』などと言われると、こちらは白けてしょうがないのである。こんなの、チェーンメールを真に受けて拡散しまくって輩とほとんどやってることは同じなのだということがわかってない、哀れなおじさんである。もっとやることあるだろう、というのがここ数週間、職場でイライラが募る原因のひとつである。こんな不要なストレスを解消するには、自転車でかっ飛ばすのが一番であるが、先日盗まれてから依頼していたTNi号が、出来上がったという連絡♪。
マチナカ事情も考慮して選んだ黄色いフレーム。さてバーテープは何色?。クロじゃ阪神タイガース。赤は派手すぎ?。黄色じゃ、暫定マイヨ・ジョーヌの浮かれエースみたいだし。意外にむづかしい。微妙なところでオレンジ色を選んで小畑さんに託す。金曜日には取りに行きたいなあ。大学時代に乗っていた黄色いスポルティーフを思い出す。嬉しいなあ。普段と違う道を走ると、みょーにお尻がそわそわするものだが、撮影のための遠出にともなう登戸までの道は、以前練習コースにしていた「連光寺」に向かうルートを行くのでそんなに違和感ないかと思っていたが、数年見ない間にすっかり景色が変わり、さらに登戸までの道もなにか奇妙な感覚が朝からあった。
登戸の駅前自体をうろつくのは初めてで、まあなんとなく多摩サイを降りたところの道路わきの空き地的スペースの柵にTIOGAの太いワイヤーで自転車を引っ掛けて、着替えて駅に。いつもの関節ロックを忘れて出てきてしまい、二重ロックは出来なかったがまあ、そんな場所でもあるまいと、そのまま小田急で目的地まで1時間ほど居眠りしながら。
撮影は順調で、夕方5時過ぎには終了。カメラマンの車で、新松田まで送ってもらって登戸で下車。土曜日に超早出練をしたために点滅ライトをTIMEに付け替えたままにしていたので仕方なくそばにある100円ローソンで照明を買って、さて、置いてあった場所を見てみると、なんかヘン。
自転車がない。
ない、というか、フレームがない。柵にはバネ上にくるくる巻いたワイヤーがのこり、脇には外された前後のホイールが立てかけてあり、隣に放置してあるママチャリのかごにはヘルメットと、タイヤレバーなどのパンク修理道具を入れたツールボトル、ミニモウフがご丁寧に入れてある。
まさかと思うような光景に言葉を失い、顔面蒼白。細かいものをかばんに入れ、ホイールをぶら下げて
さっき降りたばかりの駅に再び向かう。。
2000年に買った赤いbianchi。いろいろあったが、なぜか一番長く私の手元にあった自転車。
もう12年まるまる乗り倒し、一体何万キロ走っているだろうか。コンポもぼろぼろのアルテグラ。相当磨り減ってもいるはず。オークションなどで値がつくとも思えない。しかもホイールは残してある。
いったい何の目的なのだろうか?
まったく理解できない。立ち直れない。。