私の仕事も今やMacintoshなくしては成り立たない時代であるが、社会人になってからの6~7年くらいは、まだまだ世の中にコンピューターと言うものが浸透しておらず、カタログ、広告、テレホンカード一つ作るにも「版下」というものを作っていた。そのころに非常にお世話になっていた方がこの10日に亡くなった。まだ60歳。今ではパソコンでぱかぱか打ち込める文字も、写植を打ち、台紙に水平をみて貼り付け、字数の合わないところは、一文字ずつ切り貼りして整え、ドラッグ一発で描ける線も、ロットリングペンと定規できれいに引いていく。特に曲線は雲形定規とガラス棒を駆使して、それはそれは手際よく仕上げてもらったものだった。この業界に限らず、腕のいい職人ほど、機械化・コンピュータ化に消極的で、つまるところそれが結局乗り遅れてしまう原因となってしまったパターンの人だった。
最盛期は東銀座の小さなビルながら2フロアで営業し、数人のフィニッシャーを雇い、僕などがお邪魔して、仕事が押してくると隣の寿司屋から出前を取ってくれたり、怪しい●ィリピンバーに連れて行かれたり。コンピュータ化が進み、バブルもはじけ、仕事も減り、オフィスを撤収し、最近は自宅で細々と仕事をしていたそうで、年末に肺ガンで病院にかかったと言う話を聞いて、心配していた矢先だった。一月ほどまえに電話をしたときの声はまだまだ元気そうだったのに。陽気に酔っ払ったときの笑顔は、ずっと忘れられないと思う。ご冥福をお祈りします。
コメント