わが息子、●んちの度に、アタマを掻き、顔をしかめ、うーん、うーん、と唸りながら、踏んばっている。便秘もせず、快腸のようである。さてさて、ワタシも子供の頃から便通は非常によい。幼い頃、我が家の和式(水洗だが)の便器にたまに居残るう●ち。犯人は兄であった。水圧が低いのか、はたまたブツが大きいのか。汚い話であるが、体の小さかった僕には、おおきなう●ちは、うらやましくもあった。年月が過ぎ、そんなワタシも少しは体格も向上し、ある日踏ん張ってみると、あら流れない。「ケツの穴の小せぇ男」なんて言葉も覚えたころか、妙な嬉しさを感じつつ、そのあとにトイレに入った母親は、いつもどおり犯人は兄だと思い込んで、「コウジっ!」と怒っていたのだった(僕はタカシ)。もちろん「ケツの穴の大きさ」はウ●チの大きさで測れるものでもなく、縄張りを主張する野生動物でもない限り、その大きさは特に意味を成さない。なのに馬鹿なことに、「巨糞」であることに一種の快感を持ちながらその後の人生を送っていたのだが、歳も歳、30代も半ばの頃から、オシリのほうが怪しくなってきた。自転車に乗るのに特に不都合なほどの症状ではないものの、疲れが溜まってきたりすると、トイレットペーパーにちょっと滲む、とか、収まりが悪い、とか。都度市販の「ちゅーっとするやつ」で症状は治まっていた。ところが今回のオキナワ前あたりから、一年ぶりの参加で完走に対する極度の緊張からか、はたまた仕事のストレスからか様子が思わしくない。普段の練習の朝も、なるべく軽量化しなくてはという強迫観念から、妙に踏ん張りすぎていたのかも知れない。オキナワは、どうにか市販の「ちゅーっとするやつ」持参で乗り越えたのだが、帰って来てからその症状は悪化。「滲む」を通り越して「ポタ」っと来た。まさか、大腸系の病気なんかだとしゃれにならないし、不安は募る一方で、ほっといても状況は変わらないので、意を決して近所の医者へ。人生初めてですよ。はーU2、じゃなかった憂鬱。でいくつかの薬を2週間分処方され、様子見。1日、2日、・・・症状は変わらず、ってかひどくなってないか?ってな具合で、一週間後に再診。さらに協力な「チューっとするやつ」を処方されるが、その後の一週間も改善せず、不安は募る。「ハゲシイ運動」はいけないそうなので、自転車通勤も3日間ほど自粛してみたが、状況変わらずで、3回目の診察でとうとう「坐薬」を処方される。これが効かなかったらどうしよう、というところだったが、その2日後には効果覿面、物見山往復して帰って来た12月5日の午後には、「ヂ、エンド」。翌日の餅つきもつつがなく。そして今日に至る。いやあ、まあ、焦った。食生活的にはまったく問題ないし、運動もしてるし。「ふんばりすぎない」by相田ミツヲがポイントですな。
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