けたたましいアラームで目が覚める。それでなくても日の出の遅い沖縄で4時半はまだまだ真っ暗。天気もよくわからない。恐る恐るベランダに出てみると、なんと雨はすっかり収まり地面も場所によっては渇き始めている。午後に向け回復傾向とのテレビの予報にひと安心。昨年の反省から運営上、ぐっと遅くなった市民レースのスタートは9時過ぎと、時間は有り余っているのだが、荷物預かりのタイムスケジュールもあり、食事を済ませて荷物をまとめて体育館からシーコンと一緒に預け入れ。まだ2時間ほどもあるし、体育館で二度寝。気持ち良く寝ていたのに、呼ぶ声がして幸せな二度寝が強制終了。声の主は、フレンドの原田さんだった。初めてなもんで、スタート前の段取りが不安で質問なんだそうですが、起こすなよなー、と思ったが。
ま、起きちゃったし、場所取りもあるし。道の駅に向かう。あれ、メーターが0のままだ。シーコンから引っ張り出すときにセンサーがずれたかな。調整してみても反応なし。まずい、電池切れだ。そういえばこのところ、距離がトンでたし。幸いにしてスタートまでは時間はたっぷりある。コンビニもあるし、背中のポケットには昨晩細沼さんのアドバイスで忍ばせたゴール後の生ビールのための千円札もある。しかし問題は、タイラップ。あるとすれば・・・・・・。高校生国際レースに参加の車が並ぶところで、声をかけると、ビンゴ。タイラップゲット。ニッパーも借りてまずはセンサー外すが、借りたドライバーのサイズが合わない(汗)。器材車のおじさんにも聞いたがダメ。すぐ脇のフジレンタカーのオクマ営業所に駆け込むと、眼鏡用の精密ドライバーを貸してくれたが今度は、小さすぎ。どうせ電池も買うんだし、ファミマで聞いたが、やはり大きいのしかない。沿道のおじさんに聞いてもダメで、名護方面にもう少し戻ったところのローソンで、有り難くも、借りることが出来ました。オキナワにもすっかりコンビニが増えましたが、おかげで助かりました。電池も買ってその場で交換、復活。はあ、よかった。ほっとして、スタート地点に戻る。
ヘリコプターの音がして、国際レースは3人逃げのあと、異常なほどのまったりな集団が10分以上遅れて通過。大丈夫なんかいな。
続いて高校生国際もスタートし、我々も列に並ぶ。半分からやや前くらいの場所か。FITTEのおじさんたちが、近くの九州大学の若者をいじりつつ、少しでも緊張の糸をほぐしながらのいつもの情景。9時15分から10分、そして8分のスタートへと前倒しになり、完走への可能性はぐっと高まる。もとより、物見山でこれだけ練習していて、「完走」自体はよほどのアクシデントがない限りは大丈夫なはずだが。
いざ、スタート。前へ前への集団の中、落車のリスクを避けるため、少しでもポジションを上げるべく、右サイドから前へ出る。想定していたより右側は空いており、するすると楽に前に出られる。人数が少なくなってチェーンの回る音が少なくなってくると、さっきから規則的に「カツンカツン」と音がするのが気になりだす。某店長やら某ヒルズの人の影響か、ゼッケンプレートをサドルケツにつける輩が増えちゃって、パタパタしてんじゃねぇの、ちゃんとつけろよなー、なんて思いつつ(ヘッドが太くなったフレームが増えたからでしょうね、ホントは)、人が少ないってのは気持ちいい。どうせ下りでヘタる以上は、少しでも前にいなくてはという理由もあるので、なりでポジションを上げる。スピード自体はさほど速いとも思われなかったが、最初の郵便局過ぎの小さなトンネルも前前で安全に通過(後方では、落車らしい音がしていたが)。その後も先頭のローテを回しているうちに、次の新与那トンネル突入前には、先頭を走っていた。つかの間ではあるが、このレースで先頭走ってるなんてね。ところが他人のゼッケンプレートのバタつきだと思っていたさっきからの音が、独りになってみても消えない、ってことは、俺か?!。あらま、どうやらさっき付け直した、POLARのフォークのセンサがホイールの磁石に当たってる。今の状態で調整するわけにも行かず、トンネルはバイクについて先頭のまま通過し、最初の登りに、4番手で入り、そのまま足なりに登っていく。さすがにここまでくると先頭集団はそれらしい人々に絞られてきて、頂上へ向かってどんどん長くなる。僕もじわじわと順位を下げて、落ち着くところに落ち着くが、ま、序盤の作戦的にはOK牧場。しばらくは先頭がぎりぎり見える位置にいたが、予定通り(?)ピークを過ぎての下りが始まって、がんがん抜かれる。抜かれる目安的に、ホソヌマさんが過ぎていかないかだけは警戒しつつ、とにかく先へ。
当たっている磁石は気になるが、高速で回るホイール脇に手を伸ばすのは危険なので、コースも落ち着いたあたりで、一瞬止まってPOLARの位置調整。当たらなくなって安心したのもつかの間、しばらくして、今度は反応しなくなる。いくらへたれな下りだからって時速3kmってことはないでしょうに。つまり、距離も読んでくれてないわけで、なんとも走りにくい。ステムに貼ったプロフィールにポイントごとに距離を書いていたのが不幸中の幸い。奥の登りに入って、おそらくは2番手集団くらいに追いつく。しかしまあ、登りはとにかく快調。ぐんぐん周囲を置き去りにして前に前に。小集団を渡り歩く。岬を回って海岸線に出るころに、うまくほどほどの集団に追いついて一休み。しかしこの集団、どうもペースが遅いざんす。ここで36km巡航はないでしょう、みなさん。少しハッパをかけて前を引く。まだまだ足は余ってるざんす。BLAAMSな方が二名ほど同調してくれつつ、ピザの生地のように、少しずつ集団を引き伸ばして、引きちぎって前の集団に連結成功。と思ったら、どうやら210の第二集団との混走集団でした。おのずとスピードも上がり、相変わらず工事中の幅員減少区間もそれなりに過ごし、いよいよ二回目の登りも近づくあたりで、再び「前に出る」。とにかく平地も足が回るざんすよ、今年は。するすると前に出ると、前方に物ジャー発見。大浜さんです!。さすがです。弾丸ツアーでレース終了後に帰ってしまうと聞いていたので、ここでご挨拶しておかなくては会えないかもしれないので、登り始めるタイミングとともにペースアップして、大浜さんの横に並ぶ。声をかけると、「先頭とはどのくらい?」と聞かれ、そういえば奈良さんたちは結構前に過ぎちゃったなと、あまり参考にならない答えを返して、ずるずると引き下がる。ふと見るとマスケンさんのジャージが破れている。どこかで落車でしょうか。
位置が下がったとはいうものの、210集団から下がっただけで、周囲にはほとんど140組はいない。足は軽いし、ペース的には悪くない。お約束ながら二回目の登りの後は長い長い下りがあるわけで、さっきぶち抜いた皆さんが戻ってくる。下りの勾配も緩くなってきたところで、猛追開始、安波を登るころには、ふたたびBLAAMSな方の集団に追いつく。ここで前方に210の集団からこぼれたラバネロのフィリップも見えてきた。適度な集団で高江をこなして、踏まなきゃ進まない下りも辛抱して走る。距離がはっきりしないのがつらいなと思っていたら、「50km」の看板が見えてきた。どうやら18kmほどメーターがロスしているようだ。
と、後ろから「あと50km行くでぇ~」と声が。パイン西村さん登場です。野崎さんもいます。この快速特急に乗らない手はありません。高値安定なこの集団で、平地と登りでは多めに引きつつ、くだりではケツにつかせてもらって快調に距離を稼ぐ。何度目かの登りのときに、若ゾーが「足余ってるんなら、引いてくださいよ」などと、ほざく。あー、こんなやつが会社で部下にいたりするとぶちきれちゃうよな、と思いつつ、お前のために引くつもりはないけど、ここまで集団を統制しているパインな方々のためには少しはお返ししなくてはと、登り返しで、ちょっこし頑張ってみたら、次の瞬間、左の内ももがピキーンときた。やばい、攣る。まだまだこの先アップダウンが続くのは昨日の下見で織り込み済み。無理は禁物なので、連結解除して、ギアを軽くしてくるくる回復を待つ。攣り防止に、次の慶佐次の補給所でもらったスポーツドリンクは、やや希釈してあってやさしい味。これならまた踏めそうです。感謝。
ここからしばらく内陸側に上がる山道のアップダウンは復調して飛ばしていると、この期に及んで雨が。。だんだんひどくなり、南国特有の激しさを増す。いくつめかの下りコーナーで、白バイのキューンという高い音のサイレンが聞こえたかと思うと、ガードレール手前にうずくまってる人が見える。怖えぇっす、ビビるっす。ここでコケては元も子もないので、ひたすら安全第一でこなして、大浦の登りへ。だんだん雨も弱まり、周囲もまばらな中、羽地ダム前後の登りも、昨日恐れていたほどはつらくなく、補給もうまくいっていて、足も十分。淡々と行ける。残る川上のCPも足きり時間に大幅に余裕で通過できることが確信できたころ、後ろからお尻をつんつんする人が、とおもったら江國さんでした。長い道のり、お知り合いがちらほらいるのは有難いです、ほんと。残りの下りのラインをつかせていただき、そのまま川上CP通過!。しかーし。私はここで休むわけにはいかないのです。完走を約束されて緩んだ前走者を一人でも抜くのです。まだまだ足は余ってるのです。平地は速いぞ。5人くらいは行けるぞと胸算用したが、一人、二人と抜いていくものの、140kmの人がいない。それでもめげずに回し続け、シルベストな方が引くグループを追撃。前に出てスピードアップすると、後続はすぐにちぎれ、シルベストの方とのランデブーになるが、しばらくして彼も「きつい」の言葉を残して消えた。よっしゃ、ひとつ前に出た。
時折45km/hくらいまで出るほどのスピードを維持しつつ走っていると、対向車線の車から、「ガンバレー」と叫ぶ子供の声。お父ちゃんとしては、遠く栗原から航が応援してくれているような気持ちになり、涙が出てきた。何度走っても、最後の58号線は感極まりますな。この応援でさらにさらに振り絞り、ゴールまであと1kmまで来たところで、「こ~ぢ倶楽部」ジャージの140組に追いついて、これも撃墜。結局、これが抜き納めで、まちなかゴール。
4時間47分、111位。
メダリストのボトルと、水のボトル二本でスタート。曇り基調で、気温も高くなく、ゲサシでスポーツドリンク一本追加のみ。フラスクに仕込んだメダリスト風味粉飴ジェルと、BESPAのゼリー。アミノバイタルゼリー3つのうち、スタート前にひとつ。ひとつは余り。朝食の量もばっちりで、スタミナ的にはノープロブレムでした。
沖縄は前年の成績がゼッケン番号に反映されていて(一部芸能人枠は除く)、自分の番号と比較して位置の目安になるのが一つのポイントであるが、昨年の途中ストップのせいか、どうも今年の番号は(つまり昨年の着順は)実力どおりの分布になってなかったようで、終始周りには1000番台の人たちばかりであったが、最初に前に出たおかげで、下がりながらも自分のポジションが把握できていて、POLARの不調にもかかわらず、冷静に走れたような気がする。裏返せば、下りでどんだけ抜かれたかもよくわかったのだが。ま、10月終了時点で18000kmと走り込みも今までで一番できていて、体も軽く、2006年の107位には及ばなかったが、定員の大幅増で考えれば相対的に順位は上がったとしてよしとしよう。8回目にして、今年が一番、冷静かつ、積極的に走れたし、延びたコースの分も、楽しく走れたかも。まだまだやめられまへんな。
お疲れ様でした。
最後の写真、いい顔してますね。
ボクも行きたくなってきた・・・。
投稿情報: umetica | 2010年11 月23日 (火) 17:33
umeticaさんも、是非!。一度出るとやめられまへん。すでに中毒かもしれません(笑)
投稿情報: コミナト | 2010年11 月23日 (火) 19:41