櫂が起きたすぐ後、明け方からすごい雨。と言ってもかなり局地的なものだったようだが。おかげで多少は涼しい。昨日義母が作ってくれていた焼きそばなどを中心に朝ごはんを食べさせ(遊び食べが激しくて困る)、家のそばを少し散歩させ、洗濯をして。由紀から連絡が入り、おにぎりを多めに持ってきてほしいとのことで、慌てて4合ほど飯を炊いて、おにぎり11個。
11時ごろ、義妹が甥っ子(航にとっては従兄)を連れてヘルプに来た。いつもありがとう。ホントに助かる。甥っ子もどのくらい状況を理解しているものか、航にプレゼントだと言って、キャラクターもののマスクや絆創膏をくれる。朝の雨の名残か、やけに天候は不安定で、いざ出発しようとすると雨粒が落ちてくる。多少の濡れは仕方がないと強硬出発したものの、一時は土砂降り。頼まれていた航の室内履きを買おうと入った西松屋の冷房が濡れた体に寒い。数か月を過ごすにはあまりいい靴がなかったので、ここは出て、新座駅前のベビーザラスに行ってみるが、「ベビー」ものしかなく、ここも却下。で、乗った電車が12時40分。ついた蓮田ではまたしてもバスが行っちゃった直後。ま、ゆっくり駅前の東武で靴探すか、と歩いてみるが、見事にジジババものしかなく、近所の文房具屋で上履き扱ってないかと聞いてもだめ。子ども用の靴はこのへんだと何処で?と、文房具屋の店主に聞くと、しばらく行ったところのドンキホーテぐらいしかない、ってんで、仕方なくドンキでようやく靴GET。そのまままたしても歩いて病院へ向かい、15時前に到着。昨日大部屋に移った航は、夜の母親の不在に、ベッドの柵を乗り越えようとしたらしく、近くの面談室に念のため待機していた由紀がすぐに呼び出されて、椅子を並べて脇に寝る羽目になったらしい。
いくら五歳の子供が可哀そうだとはいえ、このままでは母親がダウンしてしまうし、航にもこの状況を理解して、耐えてもらわなければならない。病院側とも航の性格含め、話をして、今日からはまず、任せて、由紀は病院から離れることに決める。
我々の面談中、ナースステーションでぐずぐず喚いていた航は、ベッドに戻ると少し落ち着いた様子で、自らが要求した「海老フライ」(一日一品、何かしら食べたいものがあるらしい)を買いに由紀が外出している間も、ワタシと静かに話ができた。病院の食事もちゃんと食べていること、個室より、大部屋の方が楽しいこと、今度お父さんが来るときに、たらこスパゲティと、ハムが食べたいから持ってきてほしいこと、など。
一年前の今日は忘れもしない、僕が汗だくで14インチの自転車を持って帰って夕方即、ペダルを踏んで乗れるようになった日だ。それが一年後はベッドの中で過ごしてなくてはならないなんて。
6人部屋のほかの子は、上はおそらく中学生で、下も小学校低学年、みんな航より年長の男の子たち。それぞれのベッドでゲームなどして気を紛らわせて過ごしている。いままで映像でしか見たことのなかった、副作用で髪の毛も少なくなっている子ばかりで、看護師への対応や、その達観したような時間の潰し方などが、見ていて胸が詰まる。昨晩の航のパニック状態を看護師さんに知らせてくれたというとなりのベッドの子に、礼をいうとしばらく話をしてくれて、「入院うぜぇ」とつぶやいていた。まだ小学生が、じっと我慢しているし、受け入れられなくて泣いている航のことを、うるさいとも言わず、見ていてくれるのだと思うと、本当にこの病魔が憎らしい。
大量のおにぎりと引き換えに、大量の着替えをリュックにつめかえ、病院を後にする。5時45分発のバスに乗り、蓮田を6時9分発。と、大宮では22分発の「むさしの号」なるものに連絡しており、後は二駅で新座に到着。7時過ぎには我が家に到着。所要時間1時間20分の最短記録。すごいぞむさしの号。
義母に夕食とシャワーもやってもらって櫂は上機嫌。今日の航の様子などを話して、義母を見送る。今晩は涼しい。天然の涼しさに任せている方が櫂もよく寝るだろう。
病院を離れた由紀は、今日は大宮近辺に在住の自転車チームの大先輩宅に、お願いして泊めてもらう。明日の朝もすぐに病院に行けるし、何より近いということはそれだけ由紀も休めるということ。航の二晩目は気になるが、母離れもして男として成長もしなくてはならないのだ。がんばれ。
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