はやいもので、退院から一か月が過ぎた。櫂を保育園に連れて行くことも無くなり、由紀もそこそこに寝坊したりできる反面、ワタシは出社時間が1時間早まり、寒さの厳しかった今年の冬がまだまだそこにある。夕方も時間制限を気にせず仕事。早めに帰れば、航と櫂が騒がしい我が家が待っている。当たり前な、あまりにあたりまえな生活が半年振りに戻ってきた。
退院直前の2月12日の面談では、そもそもの病気を改めて説明され、入院からこれまでの治療経過と、生活上の注意点、今後の外来検査の予定と、さらに長期的・将来的な留意点を聞いた。小児がん(白血病ALL)の中でも、航の体を蝕んだ、バーキットリンパ腫は、最も増殖速度の速い病理組織型(高悪性度リンパ腫)の範疇(はんちゅう)に分類される悪性リンパ腫。大半のリンパ腫はもっと増殖速度がゆるやかで、治療自体もゆるやか。事実、同じ病院にいる子供たちは、航よりも前からいて、まだ退院できていない子達ばかり。バーキット型は、その分、治療も短期決戦、治れば早いが、薬もきつい、つまりは副作用も甚大なものとなる。
もともと症状が出始めてからの衰弱ぶりも思い出したくもないくらいな速さであった。食欲が落ちたかと思うと、一気にやせ細り、朝から起きるこ
ともなく、ただ寝ているだけ。少しの光もまぶしいといって怒り出す。そのうちにお腹が張ってきて、とどのつまり、症状が肝臓や腎臓に出ていたため、すでにかなり深刻な事態になっていた。排泄がうまく行かず、腹に水が溜まったり、体全体がむくんだり、かと思えば、痙攣を起こしたり、最初の1ヶ月半は、検査も続き気の抜けない緊張状態が続いていた。がん自体がどうなっているか知らないが、このまま治療に5歳の体が耐え続けられるのか、親としては、先が予想できない不安に四六時中さいなまれていた。
そこを何とか乗り越えた後も副作用の、粘膜障害はひどく、上は口内炎、下はお尻の皮が向け、うがいに軟膏、足腰もすっかり弱って、寝たままオムツ生活。下痢も続き、オムツ交換も延々と大変な状態であった。
5歳児である航の精神状態も状況に追い討ちを掛け、突然知らない場所に隔離され、家に帰れない、檻かと思うようなベッドで一日中すごす日々。甘えたい母親は夜はいない。
転機となったのは、やはり一時帰宅。10月27日のこと。ここからは、病院での様子もかなり落ち着き、一定のリズムで過ごすことができるようになった。二回目の一時帰宅は、家族の胃腸炎などで叶わなかったが、踏切見学で、むしろ本人はご機嫌度を増して、治療はより順調になっていった。
つづく。。
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