守銭奴ということばがあるが、道端のお金を日夜拾い捲っている僕はさしづめ拾銭奴というべきか。こんなことを言っても誰もわかってもらえないし、わかってもらうつもりもないが、拾ったお金の傷み具合になんともいえない味があるのだ。車道の端っこに落ちているようなお金は、これといって家計の足しにもならない、傷んだものばかり。やわらかいアルミ製の1円玉は、時として半分に折れ曲がり、ひどいものは噛み終わったガムを捨てた銀紙のようになってるものさえある。他の硬貨はある程度硬いのでそこまでにはならないが、ほとんどのものは自動車に轢かれ、アスファルトに擦れ、ジャギジャギと傷が入っている。また一般的に高額硬貨ほど、見つかる(拾われる)率が高いためか傷みも少ない。今までに拾った500円硬貨3枚はいずれもそのまま使える程度の浅い傷しか入っていなかった(それはそれでウレシイけど)。
この、「カワイソウになってるお金を発見」したときの、なんともいえない感覚。拾い上げて、「ちぇっ、スロットのコインだぜ」という落胆の対極にある、「お、確かにこれは○○円玉だ」という、侘びでもさびでもない(あるはずがない)、ニヤリ感。
と、前置きは長かったが、今日拾った「100円」。上にある「正しい」100円と比べてみて欲しい。誰がなんと言おうとこれは100円玉なのである。角度の揃ったこの2枚。縦に三列浮かび上がる1、0、0の数字がわかるだろうか。ケータイのカメラじゃいまいちですね。あ、わかってもらうつもりもない、といったのはワタシでした。バカですねー。
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