「一年間の疲れ」という言葉をこの時期よく耳にするが、人間はいつを起点に疲れをためているのだろうか?。一年365日きっと誰かの誕生日by山口百恵なので、ウチの航の「1年間の疲れ」は来年の8月9日に来るのが正しいだろうし、別に正月を起点に疲れ始めるわけでもないし、みんな1年周期で疲れてるわけでもないしとか、屁理屈めいたことを言っても始まらないが、だいたいTDO目標に1年を過ごしてる皆さんは、やはり今時期に少しは休んでリセットして、みたいな気分があるもんね。ここにきてどっと疲れた気がするのは、あの亜熱帯のオキナワで精一杯もがいた後の虚脱感とともに、一気に体が縮こまるような気候に突入してしまうというメンタルなへこみ具合が大きく影響して「一年の疲れ」な気がしているに違いない。別に自転車乗ってないおっさんたちでさえ、たいしたことしてないくせに一年間お疲れ様とか言っちゃってせっせと忘年会へと足を運んでるんだから、我々の疲れたるや相当なものだ。そこへ持ってきて、年末の妙なせわしさが仕事の煩雑さを助長し、当たりもしない天気予報に翻弄されてグズグズと自転車通勤などやってるものだからますます体調は下降線。今日も冷たいにわか雨かもなんていうから電車で来たが、結局降らないみたいだし。こうして街中を歩いてみると、タダで配ってるものが多いですね。駅前では消費者金融のティッシュ。構内ではタダの雑誌。住宅情報誌。駅を降りればまた創刊号なのか、声をからしてタダの雑誌を配ってる女の子に、階段下りれば、今度はタダの漫画。それはすなわちゴミでしょう?。タダで配られる漫画に執筆する漫画家も志が低い気がするな。いずれにしろそんなもの読まないけど。とはいえ電車は退屈で困りものなので、自宅の本棚にあったナンシー関の本を引っ張り出して読んでみたら、やっぱりさすがナンシー関。面白すぎて、電車の中だというのに思わず笑ってしまって、恥ずかしいくらい。ほぼ10年前の本なのだが、その独特の視点は色褪せない。今生きていたなら、亀田も朝青龍もエリカ様もその鋭いツッコミに色を失うに違いない。あ、消しゴム版画ですから、最初から色はないですね。って、落語かよ。
私もナンシー関好きです。
東北キャンプに行った時、寄り道して青森で開かれていた版画展にも行きました。
亡くなる前は名前しか知らなかったのですが。
家に人が来ると記憶スケッチやってもらうことも多々。
結構受けます。
でも松下さんは上手すぎて面白くなかったです。
投稿情報: 臼井 | 2007年12 月 2日 (日) 07:43
ナンシー関好きでした。あの夭折はなんだったんだろう。たぶん肺梗塞だろうなと思っています。過剰なおでぶさんはよく早死にします。ナンシー関にはもうちょいとダイエットして欲しかった。鷺沢萌の夭折もとても残念でした。伊丹十三は夭折じゃないけどもうすぐ命日です。伊丹十三がマヨネーズのコマーシャルで作っていた大根+ホタテのサラダ、今でも我が家の定番です。
投稿情報: コナ | 2007年12 月 2日 (日) 21:38
ナンシー関に予想外に反応があってちょっと嬉しいです。実はその昔、一度お仕事をお願いしたことがあるんですよ。「神社新報」っていう、コアな新聞に掲載する広告の仕事があって、「神主さん」のハンコを作ってもらいました。マネージャ通してだったんで、直接はお会いできませんでしたが。ホントに惜しい人です。
投稿情報: kominato | 2007年12 月 3日 (月) 10:35