4時半に目覚ましをかけて寝たものの、なんとなく寝苦しく眠りの浅いまま、目覚ましと同時に起きてみると、やけに腰が痛い。とにかく、朝風呂浴びてあっためて、お告げが来るのを待つ。食事を挟んで何度かトイレに行ってると、腰痛もかなり和らいできた。5時過ぎに食事だと、スタートまで約3時間と長いので、昨日買ったパンと、バイキングからロールパンにジャムを仕込んで背中のポケットに入れて、部屋を出る。参加賞であてにしていたボトルがなかったので、仕方なくカーボショッツを溶かしたシングルボトル。由紀と航も体育館まで付いてきて、見送り。手荷物預けて、召集までの間、ありがたいことに、物ポン連合の部屋が体育館の目の前だったので、部屋で待つ。念をいれて用を足して、いよいよ道の駅へ集合。アップしても特に状況は変わりそうもないので、皆さんとお話しながら待つ。前から5列目くらいに陣取って、いざスタート。400人近い大集団がいっせいに走り出すのはナカナカの恐怖。落車に気をつけながら微妙に前に割り込まれながら(この辺の押しが弱い!)与那からの一回目ののぼりに入る。物ポンメンバーが、松下、丹羽、細沼、遠藤の4人いるので、彼らを目標にしながら、じわじわと前へ。お互い実力もわかっているので、大体の位置もわかるし、くだりが垂れる私としては、なるべくココで上がっておきた いところ。暑さ対策に水ボトルも手に入れて、先述の4名の中で一番先行している松下の背中を視界にとらえ、先頭集団も見えてきたところで、くだり突入。ここからはもう、開き直ったというか、なんというか、自分でも情けない くらいのハエが止まるとはこのこと。苦労して抜いてきた皆さんにどんどんと先を越されつつ、あっという間に順位を下げる。次の奥の登りでまた少し盛り返し、前方に追走するにはまずまずのグループを確保しつ つ、トンネルを抜ける。と、どうしたことか、前が詰まっている、ってか止められている。なにがなんだか説明もなしに、そのまま僕の位置でも15分は待っただろうか。今までの46キロは単なるアップと化し、またまた大集団で再スタート(漁港の人はおしっこされて大変だよ、まったく)。先行していた人たちにはお気の毒ではあるが、いつもグループを作るのに苦労するこの海岸線を足を使わないで巡航できるのは大変ありがたい。次ののぼりに備えて、じわじわ前に。で、2回目ののぼり。まったく1回目と同じ展開。またしてもくだりでせっかくのアドバンテージを台無しにしながら、高江へ向かうのぼり突入。ココからは、自分で感じていた好調さそのままに、ぐいぐい登れる。後ろでチリリンの小田原さんが、「やっぱ登りハエー」と叫ぶのが聞こえる。しかし気になるのは関門。さっきの停止時間は、救済されるのだろうか。無情に閉じられた源河関門が目に浮かぶ。高江の関門を過ぎてからの下りは小刻みになってくるので、さほどアドバンテージを失わなくなってくる。ココで足の売り切れた皆さんをぶち抜いていくのが毎年の私のパタ ーン。海岸線の平坦では、付いた集団にムチを入れるために前に出てスピードを上げつつ、ローテーションしていくと、前方にとうとう細沼さんを発見。追いつくと、やはり救済措置があるらしいことを話してくれたが、それで もなんとなく100%は信じられないのがオキナワ。足を休めることなく源河に向かう登りに入る。リアル高低図のおかげでココからの細かい2段3段の登りを気持ちを崩さずに通過。最後の登りで、背中から、カーボショッツにメダリストを少し混ぜたフラスクを取り出して一気。そのまま、すがりつく細沼さんを引き離す!。と思ったが、結局下りで、またまた先を行かれてしまう。結局僕は細沼さんの登りペースメーカーとなってしまったようで。チームメイトにガツガツするのもナンだしなとか、このまま最終関門を通過しても ゴールまでの平坦基調20kmもあれば、追いつけるさ、などと考えつつ、めでたく源河関門通過。やはり救済措置はありました。東京理科大の若者やその他周囲の数名と、喜びながらゴールへ向かう。右手に広がる海を見ながら、あらためてここに戻ってこられたことが、とにかく嬉しくて、涙が出てきた。 よっしゃスピード上げて行くぜいっと、向かい風をよけてTTポジションで回していくと、いつの間にか私一人ぼっち。ここで足並みそろわないのも困ったもんで。ゴール前300mくらいのところに、航を抱いた由紀が沿道に見える。とにかくやったぜ。結局細沼さんに追いつけずのゴールではあったが。4月からの1万キロは、決して裏切らなかったと思いたい。今年はちょっと変なレースだったけど、沖縄はやっぱり特別。出走者 およそ350名。完走者214名中142位。おととしが140位ちょうどだったのね。進歩ない?。
それにしても、どーでもいいところで引いてるな、おれ。
沖縄楽しかったですね。元気なアニキの顔を見ることが出来てうれしかったです。
やっぱり走った距離は裏切らないというか、距離を走れる体を作るのが大事だなと感じた沖縄でした。で、意外にも130kmよりも200kmの方が苦労しなかったような気がします。
スピードよりも売り切れない脚を持っているアニキもやっぱり200km向きじゃないでしょうか。
ともあれ、沖縄はやっぱり特別ですね。来年も無事に沖縄のスタート地点にたちたいですね。
投稿情報: kona | 2009年11 月12日 (木) 17:31