ドア開け事故から、早2週間。左肩の痛みだけがぐずぐずと残り、それだけがために自転車に乗れない、というフラストレーションはそれなりのものではあるのだが、あえてポジティブにとか言うつもりもさらさらないけど、この際、読書にいそしむ事にした。
そういえば、子供のころの私はかなりの読書少年であった。上に2人兄姉のいる環境で、私が物心つくころには、実家にはたくさんの本があり、ひととおりの昔話とか、子供用にかかれた伝記ものなど、読みつくしてしまうと、そのうち往復40円のバス賃を握り締めて、三つ違いの姉に連れられて市の図書館に足を運ぶようになり、帰りのバス停脇にあるパン屋で、1本20円のアンドーナツの誘惑に負けてバス賃を使ってしまい、1時間近くかけて歩いて帰ったりとかしていたものだった。一年生の時の担任が、読んだ本の感想文を提出すると、教室の後ろに貼りだしたグラフにシールを貼ってくれ、その数を競ったりしたものだが、サカモト君は、いつも「もも太郎」とか「カチカチ山」とかで数を稼いでいて、ダントツで一位だったが、子供心にせこいなあ、と思っていたものだった。
それはさておき、本は読まないと、やっぱり馬鹿になる気がする。「馬鹿」というのも乱暴な言い方だが、コンピュータスクリーンに映し出される文字は、ただ流れていくばかりでアタマに入っていかない。「紙」はやはり人類の三大発明のひとつだし、「紙」に定着して初めて、知識としても定着するんじゃないだろうか。仕事柄、文字校正など、電子データでやり取りすることがほとんどになっている現在でも、結局、色校正が出るまで発覚しない校正ミスなどが多いのは、そのせいだろう。プリントアウトしないと校正にならないのだ。電子データにはその速報性とともに、いつでも修正・更新できることが利点でもある反面、やっぱり薄っぺらい。このブログだって、半分は垂れ流しだしな。別に後世に残すもんでもないけど。
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