40を過ぎて、子供に恵まれ、4つ違いの兄弟の父となった。親として名前を付けるにもいろいろ考えたが、長男には「航」、次男には「櫂」。名前など、ある意味では識別する記号にすぎないものでもあるにしても、その人生に少なからず影響するものでもあろうかと、親としては親なりに一生懸命考えたつもり。翻って自分の「孝志」についてもいまさらながら、親はどんな気持ちで付けたものかと思う。
父が一等航海士だったこともあり、広く世界を見てほしいとの気持ちで付けた「航」、そして、人に頼らず、自分の手でしっかり漕いで行くこと、と付けた「櫂」。考えれば考えるほど、実は自分に足りないもの、できてないことへの戒め、期待だ。言い方を変えれば、コンプレックスかもしれない。そんな長男は、次男の誕生と、年齢とともに、変わりつつ、広がりつつある社会のなかで自分の状況と折り合いをつけるべく毎日頑張っているように思えるし、次男は、ひどかったアトピーを辛抱して、ようやくその症状から解放されつつある。一年とちょっとのその人生をホントに一生懸命頑張っていると思う(赤ん坊ならば当たり前かもしれないけど)。
さて、自分はと言えば、4月に社内で軽く異動になり、世間の情勢、客先の状況など、もろもろの条件が重なって、個人的には忙しくなった。具体的には大々的に現場復帰。偉そうに、プロデュースだとかディレクションだとか、そんなことを言ってる暇があったら、自分でやれよ、という状況。プロデュースって、立場をごり押ししてマージンかすめ取ることじゃないよ。野に出て、自分で耕してこそ、その出来に責任を持てる実感。そんなことはわかっていたことだが、責任は俺が取るから、なんていう上司がいかにあてにならないか。日々、帰りも遅めで、体力的にしんどくないと言えばウソになるが(トシなので)、つまらないストレスは減って、精神的には良好になった気がする。何処かのバカな政治家は、口癖のように「責任責任」と言っているようだが、責任というものは、自分でやって初めて言うものだ。責任を取れる状態というものは、それはそれで清々しくあるはずなのだ。自分にストレステストでもやってみたらどうだろう、バカめ。
話は逸れたが、そういうわけで今日の日曜日も出勤だったりして、なかなか週末の練習もままならないところではあるのだが、息子二人の顔を見るたび、「あんた、こんな名前を息子につけたほどのことを、できてるのか?」と問われてるような気もして、自転車も乗りたいけど、仕事もしっかりできてナンボだと言い聞かせて父は今日も頑張るのです。おとーさんは、何してる人?って言われて、毎日自転車に乗ってる人、になっちゃうわけにはいかないからね。
ぐっときたけぇ、コメントしたっちゃ。鷲も息子に草介って名付けたんは、雑草魂を持ち続けてほしいという親のエゴであり、自分への叱咤。こみちゃんの想いはよーわかる。草介は大学生だけど自分が幼かったせいで子育てもろくにできず、なかなか思うよーにいかん。悔やまれる毎日じゃ。それでも、なんとか、バイトしながら、頑張ってくれてます。こみちゃんの想いをきちんとぶつければ、航くん、櫂くんには必ず想いが伝るじゃろ。応援しちょるけぇ。またぼやいてくれーや。
投稿情報: 田中満治 | 2012年6 月25日 (月) 00:39