字が違ったかもしれない。中学生の時に、小田先生が二人いて、もう一人は幹雄だったか。賢次先生は数学で、幹雄は理科だったかな、生徒指導もやっていたが、今ならセクハラまがいの妙なヤツだった。って、脱線しかけたが、その堅次先生。時代も時代で、戦中派で、戦地にこそ行ってなかったのかもしれないが、軍隊の教練にはしっかりしごかれた世代。その先生の、今でも印象に残る説教がある。いつも穏やかな先生で、いたずらをする連中にたいしても決して手を挙げない。そこに調子に乗ってしまうのが中学生の悪いところであるが、とうとうある日、堅次先生も声を荒げた。「私はあなたたちを決して殴ることはしない。なぜなら殴ることほど無意味なことはないからだ。軍事教練で、校庭を10周走れと言われ、10周走る。『疲れたか?』と問われ、『疲れました』と答えると、『そんなことでどうする!』と殴られて、また走らされる。では『疲れてません』と『答えると、『なら疲れるまで走ってこい』とまた殴られる。こんな理不尽なことがあろうか。殴っても誰のためにもならないのだ」。その後、別の教師からも、「おまえら、小田先生の気持ちがわかるか?」と諭されて、さすがに参った。
「親の私も手を挙げたことがないのに!」とヒステリックな親がいる。手を挙げてみればいい。どんなにつらいか。親が辛い思いをして、子供に対峙しなければ、まともに育つわけがない。
という、私。先日から、いろいろあって、長男にビンタをかましてから、深く深く落ち込んでいるのであります。情けない。
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