長い夜が明けて、体はかなりヨレヨレではあるが、櫂のリズムも多少つかめてきた気がする。書類を届ける目的もあって、今日も病院には行かなくてはならないし、明日の転院の段取りも確認しなくては。はじめは櫂も連れていくつもりで考えていたが、あまりに天気も暑く、断念。明日が早朝から動くこともあり、本当に忍びないのだが、義母にまたヘルプをお願いして、15時まえに家を出て、病院へ行き、用事を済ませて、夕方帰宅。義母と二人、何とか櫂に食事をさせ、22時過ぎに何とか寝付かせ、そのまま添い寝しながら夜が更ける。病院で航がくれた「イチゴオレ」の牛乳が効いたのか、4時過ぎまで寝てくれた。そのあとは、転院への体力もあるので、義母にお願いして、1時間半くらい、倒れるように寝る。
本当に感謝のしようもないくらいだが、早朝から、準備してくれた朝食を食べ、7時過ぎの池袋線に乗り込み(通勤ラッシュはもう始まっている)、いまだかつて行ったこともない、「蓮田」へ。埼京線からは、お盆休みで少しは空気が澄んでいたのか、遠く富士山が見えた。なにか大きな力をもらえる気がして思わず立ち上がって、ビルで見えなくなるまで見つめていた。大宮から乗り継いで、8時半には駅に着く。すごい暑さだ。航が生まれた日のことを思い出す。一時間に一本しかないバスがちょうど出てしまったあとなので、タクシーに乗る。県立小児医療センター、駅からはそんなには遠くない。
受付を先に済ませ、三階の病棟へ。救急搬送で9時に出発予定の航たちはまだついておらず、それまでの間、控室のソファに横になる。ひとりでいるとあれやこれやと、アタマの中をよぎって落ち着かないが、そのうちうとうとしてきたころに、二人が到着。そのまま病室へ。
当然だが、航は何が何だか分からず混乱しているうえに、検査前で食事を制限されていて空腹も手伝って、とにかく不機嫌極まりないが、とにかくなだめてやるしかない。こうなる前に、たくさん叱っていたのを根に持たれているのか、何を言っても「お父さんは嫌い、あっち行け」と言われてしまうたびに、自分が情けなくなり涙があふれてくる。
入院説明など受けながら、とにかく、検査。薬で眠らされて、腰から髄液を採取。これでかなりの状態がわかるということらしい。
お昼過ぎて、眠りから覚めて、水を飲んで誤飲チェックしてから、食事。完食とはいかないが、おいしいおかずを中心に食べる。入院前の減退しきった食欲のことを思うと、こうしてふつうに食べている姿だけでもありがたい。食後、アイスが食べたいという。パピコがいいという。お父さんと食べたいと言いだした。看護師に許可を得て、売店で買って部屋に戻る。航と自転車で出かけたときに「おかーさんには内緒だぞ」と言って食べていたパピコだ。ちゅうちゅうしながら、久しぶりに航が私と話をしてくれた。ほかにも内緒で自転車道中、パンなどを買い食いしていること、お母さんに内緒なのに、口のにおいや、歯に挟まったソーセージでばれちゃうんだ、など、本当に久しぶりに笑う顔を見た。嬉しくて嬉しくて、話しかけていると、つい涙声になってしまったら、航に「悲しい声はいやだ」と言われてしまった。そうだ、私がこれではいけない。
その後も、機嫌の波は激しいものの、検査結果が出て説明を、ということで、由紀とふたり、別室へ。
「成熟B細胞型急性白血病」。これが診断結果である。いくつかある白血病の中でも、比較的短期間に集中して治療ができるもの、らしい。血液のがん、というこのせいで、内臓のあちらこちらに不具合を生じ、お腹のなか全体に、なにか大きな塊ができているのだという。しかしながら、薬物療法が良く効くものらしく、血液が良くなれば、それら臓器の方も急激によくなるのだという説明を受ける。免疫が落ちるときの感染症などに気をつけながら、抗がん剤、ステロイド剤で、3週間スパンくらいで、様子を見ながら、半年かけて治療する、これで「治る」のだ。
夜、9時過ぎにようやく帰宅。義母に礼を言って交代。櫂を風呂に入れたあと、おんぶで寝かしつけて、自分も寝る。母親不在で淋しいだろうとは思うが、家族の一大事、しばらくの我慢だ、父がついてる。
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