その昔、健康優良児表彰というものがあった。
本州の西の端に位置する僕の出身地、その人口27万人都市(当時)のさらにその中の小さな町、
僕ともう一人しか同級生がいない小さな町で、そのもう一人の少年が健康優良児表彰になった。
学校代表になったかと思うと、市の代表、県の代表となり、とうとう全国最終選考の10人に残ってしまった
正真正銘の健康優良児だった。小学校6年生ながら身長は170cmほどあっただろうか、
スポーツは万能、町内会のソフトボールチームでは当然のようにエースで四番、
そのころできたサッカースポーツ少年団でも中心選手、確かにかっこよかった。
反対に僕は140cmほどの背丈しかなく、絵に描いたようなライトで8番。
町内会の集会で彼のおめでとう会が開かれた時には記念品を渡す役目だった。
中学生になり、そんな僕も少しは身長も伸び、部活程度のスポーツには親しみ、
3年生のマラソン大会では件の健康優良児よりも先にゴールインをした。
中学校のグラウンドから目と鼻の先にあるその町からは、自分の子供が出ていようといまいと
近所のおばさんたちが沿道の観戦に出てきていて、その結果はちょっとした町の話題になった。
ロードレース風にいえば「脚質」が違っただけのことだろうが、一番驚いたのは僕だった。
その後曲がりなりにもカラダを動かすことに肯定的になれたのは、この経験があったからに他ならない。
がんばれば速くなる、と信じたい。40歳を迎えても、伸びるかな。
ものの記録を調べてみると健康優良児表彰とは
昭和5(30)年、富国強兵の国策に基づいて「日本一の桃太郎探し」のキャッチフレーズで始まったが、
「個人表彰は不要な優越感、劣等感を生むもととなる……」などの意見が強まって、
昭和53(78)年をもって個人賞の授与は幕を閉じる。とある。
とすると、僕の年か次あたりで終わってるらしい。
「劣等感」は感じなかったと思うけどね。
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