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タニガキさんが、多摩サイで自転車同士ぶつかったそうだが、あそこのここ最近の混雑は相当なものらしい。道の脇から上がってくる人も多いし、ジョガーも多いし。第一自転車の数も多いし、時間を問わず、上り下りの交錯が多い。方や荒川の方はそれほどではないものの、時間が遅くなれば少しは人も増えるので、冬の朝に辛いところではあるが、7時半集合。ところがこれが曲者で、6時半に家を出るときには確実に寒いのだが、9時も過ぎて陽も高くなってくるとじんわり暑い。ジャージの選択が非常に難しいのである。そんなわけで、今日選択した、足首までのタイツは暑い。出発してなんとなくの先行が気がついてみると治水橋信号のタイミング悪く、後続と大きく距離ができたものの、そのまま二郎さん、志村さんと三人で回す。せめて4人いればまだローテーションも楽なのだが、三人はきつい。汗だく。途中三浦さんも巻き込みながら、清澄通過後、後続を待って合流して今日はコンビニに寄らずに松郷へ。二郎さんの40秒ハンデをもらいながらも、先頭を行く戸井さん、滋朗さん、ゲストの今井君からもじわじわ垂れて、ピーク到着。定峰方面へ向かう面々と分かれて、西平から明覚ヤマザキへ下って休憩。天気もよく、のんびりサイクリング気分なところではあったが、13時までに大泉にお使いを頼まれていたので、北周りの帰路も先行して、杉浦さん、河野君、今井君とワタシで、飛ばし気味に。お使いも無事済ませて帰宅。130km。
投稿情報: 23:01 カテゴリー: bicycle | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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木曜日は新宿で撮影。朝は降っていなかったが、昼前から夕方までけっこうな雨。帰るころにはあがったものの、陽が出ないと寒いー。金曜は訳あって、午前中医者に行って、いつもどおりの自転車通勤。土曜日は浅倉さんから8時発の案内。この時期ちょっと遅めはありがたい。朝、玄関先でシューズカバーを付けるかどうか迷ったが、ナシで。集合場所に着くころには陽も上がってけっこう暑い。のに。遠藤さんが真冬仕様で登場。案の定走り出すと、一人だけ汗ダラダラ。冬場の練習経験値が少ないことが露呈しましたな(笑)。天気も良いので一山ふた山行きたい所ではあったが、まあOFFだし。息子の遊び相手もあるし。杉浦、河野、私で三段坂。相変わらずの河野引き。平坦になっても、がっちりペース走。このぐらいしないと練習とは言えないですか。ひょー。帰宅後は、家全体の網戸外して洗って、窓拭き。水仕事はあったかい日に片付けないと。
で、日曜。雨が怪しいので、やや早めで7時半。昨日とは打って変わって寒い。のに。宇津さんが妙に薄着(グローブは指きり!)。さくさく走って、想定外に降り出しが早そうだったので、今日も三段坂でおとなしく帰る。昨日の河野引きを思い出して、それなりに追い込みつつ帰る。途中、そこそこ降ってきたが、帰り着いた栗原あたりは、雨も上がっていて助かりました。
さて、2月に由紀の母方の祖父が亡くなったので今年は我が家は喪中。喪中ハガキの宛名など夕方に一気に片付け。練習仲間のみなさま、この日記をご覧の方には、この場を借りて失礼します。
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先週水曜23時くらいの池袋線急行に飛び乗ったら、目の前に、ボーズのやや背のたかい痩せた男。マスクで顔半分隠れていたが、この落ち着かない目付きには見覚えが。確か歌のオーディション番組でデビューした4人の子持とかで40歳で、紅白でたヤツだ。『Home』って歌だったか。あれから見ないと思ってたら、あらワタシと降りる駅も同じですか。
金曜は、朝から三田で打ち合わせ。終わって出てきた横断歩道の隣に立ってるのは、小林薫だった。テレビと同じ気の良さそうな微笑み浮かべてました。会社に戻って周囲の連中に話したら、入社2年目24歳の子は、ピンと来ないようだった。
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暑さとスコールの南国から帰ってきた埼玉(ってか首都圏)は、雨つづき。電車通勤でゲッソリ。出社すぐにいきなりトラブルで帰りは遅いし。今回は在縄日数も多かっただけに、いやがおうにもあのゆる〜い時間の流れが恋しくなるさ〜。
今回で七回目のツールド沖縄。ビギナーズラックで完走した02年、03年もどうにかクリアしてすっかり安心したか、明らかに練習不足の04、奮起してそれなりに練習したものの、スタート時間の混乱の煽りを食らった05は源河でアウト。130になって登りのアドバンテージが増えたおかげか、物見山の練習の成果か06年は相対的に順位を上げて104位で完走。07年140位、そして今年が142位。400人に増えてる分、位置的には変わりないか。しかし400人集めるのも、良し悪し。さすがにコスプレはいないんだけど。インターネットの早いもの勝ちでエントリー埋まるってのは考えものかもね。せめて完走実績者優先枠作るとか。ゼッケン番号に少なからず反映されてるくらいだからデータは取れてるはずだし。市民レースじゃ無理かな。でも己の実力を客観視できてからにしないとね。
そんな私は、客観視以前にやっぱり下り。それさえ克服すれば、確実に60位は順位が上がる(80人くらいには軽く抜かれて、20人くらい抜きかえしてますから)。っていつから言ってんだろね。今年なんかは開き直っちゃって今までで一番ひどかった。松下には貪欲さが足りないと言われたけど、諦めて安心しちゃってることは否定できないな。バンジージャンプでもやってみたら目が覚めるかな。
投稿情報: 21:47 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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レースも終わって、会場で妻子と再会。由紀が一緒にオキナワに来たのは 今回が初めてでもないし、僕が完走したのも当然初めてではないが、ゴールシーンを生で見たのは今回が初めて。航にも無様な格好を見せることもなく、良かったよかった。05年のツール観戦でキャラバンの配っていた水玉帽を航に被せていたら、片山右京が気が付いて、一緒に写真に納まってくれたそうだ。いい人だ。売り切れだらけの自販機からようやく麦茶など飲みつつ、ゴールした皆さんとお互いの健闘をたたえあう。自転車の宅配を頼んだあと、うろうろしていると、新城選手のサイン会の整理券を配っていたので並んで、サインもらって握手してもらって写真撮ってもらいました(ミーハーだなあ)。
久しぶりに完走証ももらって、閉会式。チーム全員完走したし、ビールがうまい。ちょっと早めに切り上げてタクシーでかりゆしへ。かりゆし、かなり綺麗になりましたね。新しくできた大浴場で一息ついて、7時に「我那覇」で打ち上げ(常川さん、車ありがとうございました。)。金城さんの音頭で、たくさんの人が集まって(有名人も独占状態だし)、楽 しい打ち上げでした。一年で一番楽しいお酒のあとは、よたよた丹羽さんと21世紀まで歩いて、そのあとかりゆしまでタクシー。
さてあけて月曜は観光デー。8時半にレンタカー受け取って、美ら海水族館へGO。夕べは少し雨が降ったようだが、とにかく暑い。200kmはこんな道もいくのかーなどと考えつつ到着。ジンベエサメは何度見てもいいです。航もかなり大喜びで親も満足。午後になって「大家(うふやー)」で沖縄そばでもいただきますかと走り出すと、すんごい雨。名護の山奥のお店はなかなかわかりにくいところでしたが、古民家の趣のいいお店でした。雨宿りも兼ねての食事でのんびりして、ホテルに戻る。チビも疲れたようだが、あまりの日差しの強さ、沖縄入りしてから全般に食べ過ぎたし、打ち上げの飲みも過ぎて、おとなも疲れた。部屋に戻って大浴場でさっぱりして、夕食は「肉食いたい!」の由紀のためまたまた「我那覇」へ。到着したらなんだか灯りが暗い。店から兄ちゃんが出てきて「今日は食事は休みですよー」ってショック。仕方ないので引き返して、「名護曲」。ここはやっぱり、お値段の割りに充実していていいですね。
楽しかった沖縄もとうとう最終日。早々に朝食を済ませて、那覇へ。またしても途中で土砂降りになりながら、レンタカー屋につくころには雨も上がって車返して余裕を持って空港へ。子供用の遊び場(100円いれて遊ぶ乗り物がたくさん)で、航も大はしゃぎ。帰りの便は空いていて、三人席をもらえたので、ゆったり。ついた羽田は意外にあったかく(20℃ありました)、リムジンバスで池袋、西武線と乗り継いで、我が家。4泊5日けっこうな旅行でした。
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4時半に目覚ましをかけて寝たものの、なんとなく寝苦しく眠りの浅いまま、目覚ましと同時に起きてみると、やけに腰が痛い。とにかく、朝風呂浴びてあっためて、お告げが来るのを待つ。食事を挟んで何度かトイレに行ってると、腰痛もかなり和らいできた。5時過ぎに食事だと、スタートまで約3時間と長いので、昨日買ったパンと、バイキングからロールパンにジャムを仕込んで背中のポケットに入れて、部屋を出る。参加賞であてにしていたボトルがなかったので、仕方なくカーボショッツを溶かしたシングルボトル。由紀と航も体育館まで付いてきて、見送り。手荷物預けて、召集までの間、ありがたいことに、物ポン連合の部屋が体育館の目の前だったので、部屋で待つ。念をいれて用を足して、いよいよ道の駅へ集合。アップしても特に状況は変わりそうもないので、皆さんとお話しながら待つ。前から5列目くらいに陣取って、いざスタート。400人近い大集団がいっせいに走り出すのはナカナカの恐怖。落車に気をつけながら微妙に前に割り込まれながら(この辺の押しが弱い!)与那からの一回目ののぼりに入る。物ポンメンバーが、松下、丹羽、細沼、遠藤の4人いるので、彼らを目標にしながら、じわじわと前へ。お互い実力もわかっているので、大体の位置もわかるし、くだりが垂れる私としては、なるべくココで上がっておきた いところ。暑さ対策に水ボトルも手に入れて、先述の4名の中で一番先行している松下の背中を視界にとらえ、先頭集団も見えてきたところで、くだり突入。ここからはもう、開き直ったというか、なんというか、自分でも情けない くらいのハエが止まるとはこのこと。苦労して抜いてきた皆さんにどんどんと先を越されつつ、あっという間に順位を下げる。次の奥の登りでまた少し盛り返し、前方に追走するにはまずまずのグループを確保しつ つ、トンネルを抜ける。と、どうしたことか、前が詰まっている、ってか止められている。なにがなんだか説明もなしに、そのまま僕の位置でも15分は待っただろうか。今までの46キロは単なるアップと化し、またまた大集団で再スタート(漁港の人はおしっこされて大変だよ、まったく)。先行していた人たちにはお気の毒ではあるが、いつもグループを作るのに苦労するこの海岸線を足を使わないで巡航できるのは大変ありがたい。次ののぼりに備えて、じわじわ前に。で、2回目ののぼり。まったく1回目と同じ展開。またしてもくだりでせっかくのアドバンテージを台無しにしながら、高江へ向かうのぼり突入。ココからは、自分で感じていた好調さそのままに、ぐいぐい登れる。後ろでチリリンの小田原さんが、「やっぱ登りハエー」と叫ぶのが聞こえる。しかし気になるのは関門。さっきの停止時間は、救済されるのだろうか。無情に閉じられた源河関門が目に浮かぶ。高江の関門を過ぎてからの下りは小刻みになってくるので、さほどアドバンテージを失わなくなってくる。ココで足の売り切れた皆さんをぶち抜いていくのが毎年の私のパタ ーン。海岸線の平坦では、付いた集団にムチを入れるために前に出てスピードを上げつつ、ローテーションしていくと、前方にとうとう細沼さんを発見。追いつくと、やはり救済措置があるらしいことを話してくれたが、それで もなんとなく100%は信じられないのがオキナワ。足を休めることなく源河に向かう登りに入る。リアル高低図のおかげでココからの細かい2段3段の登りを気持ちを崩さずに通過。最後の登りで、背中から、カーボショッツにメダリストを少し混ぜたフラスクを取り出して一気。そのまま、すがりつく細沼さんを引き離す!。と思ったが、結局下りで、またまた先を行かれてしまう。結局僕は細沼さんの登りペースメーカーとなってしまったようで。チームメイトにガツガツするのもナンだしなとか、このまま最終関門を通過しても ゴールまでの平坦基調20kmもあれば、追いつけるさ、などと考えつつ、めでたく源河関門通過。やはり救済措置はありました。東京理科大の若者やその他周囲の数名と、喜びながらゴールへ向かう。右手に広がる海を見ながら、あらためてここに戻ってこられたことが、とにかく嬉しくて、涙が出てきた。 よっしゃスピード上げて行くぜいっと、向かい風をよけてTTポジションで回していくと、いつの間にか私一人ぼっち。ここで足並みそろわないのも困ったもんで。ゴール前300mくらいのところに、航を抱いた由紀が沿道に見える。とにかくやったぜ。結局細沼さんに追いつけずのゴールではあったが。4月からの1万キロは、決して裏切らなかったと思いたい。今年はちょっと変なレースだったけど、沖縄はやっぱり特別。出走者 およそ350名。完走者214名中142位。おととしが140位ちょうどだったのね。進歩ない?。
それにしても、どーでもいいところで引いてるな、おれ。
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投稿情報: 20:33 カテゴリー: bicycle | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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