« 2007年5 月 | メイン | 2007年7 月 »
41年前にこの世に生を受けたワタシについた名前は「タカシ」である。船乗りだった父は僕が生まれたときには遠い海の上でその報を受け、当時カタカナしか受け付けない電報で母と名前のやり取りをしたのだそうだ。カタカナだけでどんな漢字にするのかの検討はさぞかし困難なことだったと思われ、父がもらえといった親戚のお姉さんの字はひらがなだったりして、結局時間切れで母の判断で漢字は宛てたらしい。これじゃDQNな名前にもなることもないし、母はちゃっかり、自分の名前から一文字入れている(考えてみれば親の名前の漢字を受け継いだのは4人中僕だけだ)。たかし、いやしかし、タカシといえば4・50年前の名前ランキングを見ると漢字は違うが「隆」がかなりの間上位に君臨しているくらい、ポピュラーな名前である。ほかにも「ヒロシ」とか「コウジ」、「マサル」、「カズオ」、「アキラ」などなど、ぱっと思いつくポピュラーなというのはたくさんあるものだが、なぜかテレビコマーシャルに登場する名前は「タカシ」である。CMにおいて「ひとの名前を呼ぶ」というシチュエーションもそうそう多くはないと思うのだが、そんな時、決まって「タカシ」なのであった。昔、白仁丹というお菓子(?)のCMではビートたけしが「たかし!」と叩かれていたし、田代マサシがココアができたよと持っていく子供部屋の受験生もタカシだった。おっとっとのCMでも、赤字続きの家計簿にため息をつく母親から、おっとっとを食べちゃだめといわれるけなげなたかし君。近頃ではアミノコラーゲンのCMで母親と姉と思しき設定の女性から「ねぇ、たかしー」と呼ばれている、タッキー(そのままヒデアキじゃ、なんか都合悪いのか?)。intelのCMで朝目覚めるとツンツルテンのパジャマを着て黒人に変身してしまっている小学生のタカシ。今すぐには思い出せないがほかにもまだまだたくさんあったはず。まあ、CMだっていうせいもあるけど、どの「タカシ」クンも少し小心者だったり、落ち着きがなかったり、哀しい存在だったりするんだな。と思っていたら、今朝流れていたdocomoのCM、結婚披露宴でスピーチするドコモのおねーさん(この人あまり好きじゃないんですが)、が呼びかける新郎の名前がまた、たかしさんだった。ま、幸せになってね。
投稿情報: 17:44 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
マニュアル通りにしか行動・判断できない人間。 機転の利かない人間。なんだそうです。
実は。この歳にして大人の学校通学中なのでした。といっても大半のほかの生徒は僕にとっては子供みたいな歳のやつばかりですが。自動車教習所。その昔20歳くらいにワタシも人並みに免許は取ったのだが、もともと車のない家庭で育ったせいか、運転に興味もなく、バブルに乗ってスキーに行きまくったりとかダイビングに興じたりとかもしなかったため、軟弱な都会生活の中では必要性もほとんど感じなく、まるでペーパーなまま十年くらいまえにサイフとともに紛失し、そのまま更新忘れて失効。すべては自分の愚図が悪いのだが、自転車関係の移動もあるし、家族も増えるし、一念発起でいまさらながらに取り直しというわけなのです。学科を受ければ年配の教官のギャグが通じているのは僕だけとか、キャンセル待ちの書き込みに並んだ女の子は、マニュアルなのかオートマなのかという教官の問に対して「んっとねー、スポーツカーじゃない方」と答えていたりの独特な世界が展開する中、仕事と練習の合間を縫いつつもつまづくことなく仮免パスし、路上教習中であります。「四十(正確には41)の手習い」とは、若いときに得た技術をもう一度初心に立ち返ってさらに習熟度を増すのだという説もあるとも聞くが、もともとペーパーだった私に習熟度もヘチマもないが、若いときと違って目的意識が明確なのと、自転車とはいえ、街中を走りまくっているので気持ち的には楽かもしれない。適正検査では「人間的成熟度が高い」と出ました。まわりの生徒の倍くらいの歳だもの、熟しすぎだし。完全雨予想の日曜日は、朝から路上と、学科を4時限。しかし、今って7割くらいがオートマ限定なんですね~。知らんかった。悪いかマニュアル人間で。
夕方、大浜さんが、来週の広島行きのための、シーコンバッグを引き取りにきました。6年前のイタリア行きと、5年前の初沖縄でしか使っていなかったのですが、皆様のお役に立てて光栄です。そんな大浜さんの車はバリバリのマニュアル。さすがー。自転車空路運搬用のシーコンバッグ、大浜さんの広島行きのあとは、奈良さんの大分にお供です。おふたりともがんばってください。
投稿情報: 10:54 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
IT化のせいなのか知らないが、二転三転する天気予報ではあるが(リアルタイムに最新の情報を提供しているともいう)、午前中は降られることもなさそうだということで、早出の殿岡練。6時半に先行して公園事務所にいたのは先日大怪我だったといわれていた松村さん。聞いていたとおり、耳の辺りが痛々しい状態ではあったが本人はいたって普通で、痛いのは怪我よりもむしろ奥さんの目線だったかも知れない。そんな笑点的ツッコミはおいといて、たいしたことなくてよかったです。6時半の出発は、松村、松井、殿岡、岡部、宇津、そして私。人数的にもメンツ的にもシャキシャキ進みます。向かう先の雲が重いのはわかっていたが、だんだん空気が冷たくなってきて、とうとう川島で降ってきた。ここまで松井さんと追い風にまかせて40キロくらいで快調に先行していたが、しぶきも上がる路面に、ペースを落として後続と合流。しばらくするとなんと雨はすっかり上がってしまった。なぜかここだけ、さすが雨の特異点川島。清澄手前の河野君ロングスパートポイントで前に出てペースアップするとそのまま微妙に放置気味。当然登りに入る手前で飲み込まれそうになるが、ぐーっとこらえて殿岡さんに続いて通過。下りきって再び合流のあと、岩殿から高坂CCへとグリグリと。みっちー先頭の7時隊とすれ違いつつ帰路もまた川島で小雨。ホントになんでここだけ?。最後までパキパキ快速ペースで距離こそ短めな115kmでしたが、いい感じで走れました。いまや自転車スターのキヨシローがその昔「昼間のパパは~♪」と歌う中で「休みの日には~10時半に起きる~♪」と言っていたけど、今日の僕は10時半には帰宅。すばらすぃ。おかげで午後の用事もきっちりこなせました。
投稿情報: 23:38 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
親がらみのネタが続いたが、このワタシももうすぐいっちょまえに、3時のあなた、じゃなかった一児の父になろうとしているのであったが、つくづく名前をつける、という行為はなんとも大変なことだと思う。その人間が一生付き合っていくのだから。将来国際的になじみやすいように、「サム」って呼んでくれという理由で俺の名前は「イサム」なんだといった大学の先輩がいたが、めがねに出っ歯の典型的欧米風刺漫画的日本人顔だったな。では「ヨーコ・オノ」では国際人になれないのか?。「イチロー・スズキ」では?。むしろこのくらいのほうが日本人としてのアイデンティティがあるってもんだし。近頃増殖しているひと目で読めないような当て字な名前をDQNな名前というそうだが、コミュニケーションの第一段階でつまづくそうだ。親になんでこんな名前にしたんじゃー!と大きくなってから怒る子供もいるらしい。昭和40年代生まれのワタシの周辺には、最近の風潮のような突飛な名前はまずいないが、こんなDQNな名前はいつごろからなのかと考察してみるに、ある芸能人にたどり着いた。桑名正博とアン・ルイスの「美勇士:みゅーじ」くんです。81年生まれだ。どうやらこの名前が世間に認知されたことから、この手の名前が世の中にはびこりだしたに違いない。このところ再燃している年金。名前の読み方を間違って入力されていただけの理由で漏れていたとかいう例も多いようだが、DQNな名前だらけの50年後くらいには年金もらえない人があふれるのかもしれない。いやそれ以前に破綻してるか。ちなみに性別のまだわからないウチの子、ちゃんとふた通り考えてありますよ、まだ内緒ですが。マリ男とか、マル子とか、麻世とか、クネ子とか。まさかね。米倉マサカネ。
投稿情報: 16:28 | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
自転車乗り始めて間もないころは、ツール・ド・フランス最高だよなとか、僕くらいの時期だとパンターニかっこいいよなとか、恐れ多くもマイヨジョーヌの一枚くらい持っていたりして、今考えれば赤面ものなこともたくさんあり、自転車に限定しなくても、人の人生というものには抹殺したい過去のひとつやふたつはあるのだろう。だんだんと自分自身の走ることに傾倒してくると、あまり海外レースへの興味はそれほどでもなくなり(個性的な選手が減ったせいもある?)、それよりももっと身近なリザルトに関心は移る。JCRCで誰がどうだったとか、実業団であの人がそうだったとか。そんな先日の三宅島は実に楽しかったようだ。こういったイベントに非常に好意的な方々の存在とか、もっともっと感謝するべきなのかも。アマチュアから始まってプロでもこんな風に生で見られると、一気にその選手のシンパになったりするものだ。2005年に見に行ったツール・ド・フランスはそれなりに良い経験であったが、このツアーで同行していた我々日本人には、直接応援する理由のある選手がいない。ただかっこいいから、強いから、くらいの理由で、アームストロングやらマヨやらを応援しているが、脇にすわってる地元のおばちゃんたちは、僕らの知らないような選手を「知り合いだから」応援しているのであった。あなたたち日本人は何をしにここに来たのといわんばかりの、楽しそうな観戦だ。うらやましくも恥ずかしい気持ちであった。JCRCで僕らがチームメイトを応援しているのと同じ感覚だ。といってもそこには「知り合い」の選手は走っていないわけで。そこへ来て別府フミユキの活躍たるや、うれしい限りで日本人的には手放しで応援するべきなのである。しかも勝手ながら「知り合い」なのだ。お話ししたことあるのだ。一緒に写真をとってもらったことがあるのだ。ヘルメットにサインしてもらっているのだ。18歳も年下だがファンなのだ。サッカーがメジャーでないころにがんばっていた奥寺が市川正敏氏のようなものであるとすれば、「企業からハケン」されていたかもしれないけどがんばったカズのようなイマナカさんがいて、そして、フミユキ君がリアルタイムでがんばっているのだ。と、そんな彼がとうとうツール・ド・スイスに出るらしい。ウチのケーブルテレビ、JSPORTSの1と2は基本パックで視聴可。プラスは別契約なので、ジロは、飛び飛びでしか見られなかった。今月来月はJSPORTSプラスを追加契約して別府を見るしかなかろう。ちなみにウチの父親はスミユキだった。関係ないか。
投稿情報: 22:14 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
昭和33年の3月3日生まれの人は、平成3年の3月3日に33歳になるという話がそのころあって、それに対抗して大正7年の7月7日生まれの人は、平成7年の7月7日に77歳になるというめでたい話などがあったりして、更にそれに対抗してウチの母親は、3並びなら負けないと、まず自分の母親が明治33年の生まれで、自分が1933年、高校が33回の卒業で、33歳になる年の3月3日に3人目の子供(ワタシ)が生まれてなどなどとこじつけて、NHKのラジオに投稿してスタジオのアナウンサーから電話をもらった放送をカセットテープに録音して、何度か聴かされた。そんな3番目の子供の私にとって男ながらに3月3日が誕生日というのは、小さいころはそれなりに気にもなったし、上下を姉妹に挟まれて、ケーキはいつもおひな様ケーキだったし、中学、高校のころは常に期末試験の初日とか、前日だったりするのが少しだけ悲しかったりもしたが、今となっては覚えがよく、むしろありがたいかも知れない。8月の初旬が予定日のわが子は、夏休み真っ只中。おめでとうを言ってくれる友達には会えないかもしれない。ケーキよりもカキ氷かもしれない。しかしお盆休みも近い、しっかりお祝いしてやるから許せ。わが妻は12月の半ばの生まれなため、誕生日とクリスマスが一緒だったとかで微妙に損した気分だというし。誰しも自分の誕生日にはなにかしら思うところがあると思うが、なんでこんなこと思ったかというと、昨日家に着いたときの走行距離メーターが33.33kmだった、というだけのことでした。
投稿情報: 12:47 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
今朝も7時発で自分で案内を出したのだが、大学の同級生で、イラストレーターになっている友人から個展のお知らせが届いていたのを忘れていた。杉本さんにも練習お誘いのメールをしていたので、集合場所には時間通りにいく。昨日来られなかった宇津さん、遠藤さん、森須さん、昨日おつかれさまの伊藤さん、河野君、そして杉本さんに私といった面々。まずは物見山へということでスタート。走りながらこれからの時間配分などいろいろ考えていると あまり時間がなさそうなので川島の消防署手前辺りで、離脱。トンボ帰りで日野に向かう。以前はよく行った久しぶりのルート。私がしばらく走っていない道、ということは、拾われずに残っているお金があるはず(ホントか?)。環八から人見街道に入る手前で、あったありました、百円!。久我山抜けて東八道路。今度は杏林大学前でまたまた100円!。たった15分の間に、すんばらしい嗅覚です、我ながら、むひひひ。
多摩川原橋からサイクリングロードを日野橋まで北上する。物見山ジャージは多摩川では非常に浮いてる気がする。気のせいか。荒川慣れした私にはやっぱりここは走りにくい。犬の散歩、ランニング、脇のバーベキュウに草野球、車椅子レーサーなどなどが高密度に混在し、その中を縫うように無謀に飛ばしていくノーヘル君がいたりして、あまり気分がよろしくない。ともあれ、日野橋からちょっと、クレアという園芸屋さん兼カフェ(?)に到着。カレンダーやステーショナリ中心に水彩画やカリグラフィを描く彼女は、アトリエを山梨のブドウ畑に移し、最近はタイル画などもやっており、緻密かつ穏やかな作品が並んでおりました。水彩画の淡い調子でありながら風格さえ感じさせます。キャリアを感じますね。そこで出た話、我々大学出てから今年で20周年だそうです。クレイジーキャッツの五万節って歌では「学校出てから十余年、、」というくだりがあるが、それさえも越えて20年。卒業したころは昭和でした。はー。俺には何か風格はあるのか?
投稿情報: 21:03 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
7時発のお山行き。明日が富士山ヒルクライムだったりするせいと、コメント入れたものの帰宅が遅くてDNSとかの人もいて少なめ。とはいいつつ、河野、盛永、志村、松下、米谷、ひさしぶりのゲストの伊藤さんに私。刈場坂行きに決定して亀ロー目指して穏やかに進むが、葛袋過ぎから河野君がスパートして伊藤さんも追随。後続は清澄で一気にまくる暗黙の了解で、じわじわ追っていたら信号で置いてかれちゃいました。ちぇ。さてさて今日のメイン、カバ坂。カイチョーに先行する河野君についていこうとする伊藤さんにやめといたほうがいいよと声をかけつつ、本格的に登りに入ると、結構きつい、長い。河野君を先頭にしたまま、志村、盛永、松下、私で登りつづけるが、我慢ならず。結果的には2/3くらいのところくらいか、じわじわ離され始め、松下が前の三人から遅れていくのを見つつも、こちらも挽回できない。いやきつかった。最後尾の伊藤さんを待ってそのままグリーンラインのアップダウン。谷ごとの溝ブタが気になりつつも、気持ちのよい天気のなか、快適な山走りでした。下っておまけのアジサイ公園。甚五郎前で僕だけ離脱で、単独帰還。甚五郎で合流した松井さんの忠告どおり、一人では向かい風がきつい。ここいらのコースには他にもチラホラロード乗りがいるはずだが結局誰も足があわず、延々とひとり。と思ったら、川島過ぎて裏道入ったところで、荒い息とともにマウンテンバイクに乗った妙なガイジンが追いついてきた。ややあがったおでこ、あごひげもじゃもじゃに、サングラス。上はチェックのシャツだが、下はレーパン。かなりなビッグサイズ。いっぱいいっぱいには違いないが、羽根倉橋まで行くというので、一人じゃつまんないのでしばらくご一緒することにする。汚れの溜まったディレーラー、微妙にゆがんだリアホイール。太いタイヤの擦り減ったドレッドをウインウインうならせながらすんごい馬力で平地はぐいぐいと走っているが、農道の細かい登りでギアかけると一気に遅れる。入間大橋の信号待ちで追いついてきてのせりふが「ヤマハ、チョトニガテデース」。その後はやっぱり疲れたか、結局羽根倉橋前には遠くかなたにちぎれてしまったが、少しは気が紛れました、サンキューベリマッチ。167km。獲得高度は1400mあまり。カバ坂恐るべし。
投稿情報: 20:05 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
朝は爽やかだなーなんて思っていると、午後から急に冷たい風が吹いてきていきなり雨やら雹やら。ってな天気がここんところ多いですね。その典型的な例が昨日。ワタシはわけあって会社を休んで近場へお出かけしてましたが、「15時くらいから降る」という予報を信じて電車でGO。結局16時の帰宅までは降らず。なんだなんだ、天気予報はずれかよ~なんて思ってたら、17時あたりからすごいことになりました。会社行ってなくてよかった。。まったく大気が不安定ってやつは困りものです。そんな嵐のような夜が明けて今朝はばっちり晴れてるし、ルンルン気分(死語)で自転車で出発したら、えー、マジですかー。青山あたりからぽつぽつ。麻布を下ったあたりからはザー。三田まであと10分くらい。雨宿りするほどでもなしと、そのまま走りましたが、結構濡れ濡れでした。
パンクに関しては、たくさん皆さんからコメントいただきまして、やはり、自転車にとって一番身近且つ、面倒なトラブルということでしょうか。レバー使わずにパンとはまるとそれはそれで気持ちいいんですけど、新品のタイヤではまずありえませんね。そういえば、ミシュランの黄色いレバーを使っていたときは、チューブを噛むことはなかったような。。最近考えてみれば、パナの細いレバーを使っていたのでした。そのせいだったか。手先の器用さには少し自信があったのが、あやうくへこむところでした。先週のスローパンクしていたチューブもバルブ周りのゴムが少しはがれているのが原因。古くなったチューブは早めに交換しましょう、ってどこかで聞いたな。パナか。交換してもいいけどパナレバーは使わない、と。
帰り道。高円寺辺りで信号待ち中、○るしま君が隣に。車道と並行する歩行者信号が青になったら行っちゃった。うーん。そのあと、五日市街道入り口。後ろから来た○-Serveのノーヘルなアベック。赤信号をやり過ごしてすり抜け左折したかと思うとそのまま対向車線にUターンして、対面信号の青をいいことに、結果的に右折してった。それがメッセンジャーの「テクニック」だとでも思ってるのか。しかも後ろのおねえちゃんは無灯火だし。なんなんだ。朝の青梅街道では、時間帯バス専用レーン走行車を待ち伏せしてるおまわりさんでいっぱいだけど、夜のお仕事は盗難車疑い自転車を、呼び止めるくらいだもんね。だめだこりゃ。
投稿情報: 22:41 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
最近のコメント